コラム9 方向音痴の人と街を歩く

方向音痴番組の出演以来縁で、「全日本方向音痴ーず」の人と10月30日に、新宿駅南口から赤坂のアークヒルズまで歩いた。地震で公共交通が不通になったとき、都心から遠く離れた居住地まで帰れるかは、首都圏に働く人々の大きな問題だが、その問題は方向音痴の人たちにとってはさらに大きい。日常空間でさえ数々の「武勇伝」に事欠かない彼らだ。まして公共交通が使えないとき、初めての道を帰宅支援マップだけで歩けるのだろうか。それをテーマにした防災ウォークという位置づけで、上記の行程を歩くことになったのだ。

 

結果として大きく迷うことはなかったのだが、一緒に歩いてみると、「方向音痴」の人がどうして地図がうまく使えないかを知るさまざまな手がかりが得られる。

 

1)プランは問題ない。

 方向音痴の人は「地図を読むのが苦手だ」という。しかし、出発前の彼らの会話や途中でのルートの決め方を見ると、決して「地図が読めない」わけではない。地図上でルートを読み取ることに関しては、別段問題があるようには思えない。確かに、「方向音痴だ」という自己概念からか、過度に難しい場所を避け、その分無駄な遠回りをすることもある。また、時にはそれによってより複雑なルートを結果として選択してしまうことがある。しかしそれ以上の問題は、プランの段階からは見当たらない。

 

2)アナログ/詳細情報がうまく利用できていない

 外苑西通りを青山墓地に沿って歩き、六本木で左折することになっていたが、その手前に鋭角に左後方から道が合流する場所がある。「ここはやってくれるかな?」と思ったら、案の定、こちらのほうに左折してしまった。たぶん「曲がりを左」と、単純化して覚えていたのだろう。これは心理学では「図式化による誤り」として、広く一般にも観察される現象である。

 

3)文脈の無視

 方向感覚のよい人は、その場の風景で判断できなくても、「だいたいこちらに進めば、**通りにぶつかるはず」といった、全体配置を考慮に入れた方略を採用することがある。これは必ずしも、表立った行動ではないので、今回のウォークの中でなかったとは言えないが、観察できる限りでは、このような方略的でその場の問題解決をしようという試みはほとんど見られなかった。

 

地図でわかりにくい場所、道路が建設されるなどで地図とは変わってしまうような場所でも、その場で地図を読んでいるだけではナヴィゲーションの問題は解決できないので、方略的な考えが必要とされる。

 それからこれは直感的な解釈なのだが、どうやら問題が発生したときにも、それまでの文脈をリセットして、その場だけで問題を解決しようとする。結果として迷いそうになるという行動も見られた。簡単に言えば、「あれ?おかしい迷っちゃたの?」という時にも、「さっき、**を通った」とか「まだ**を通っていない」と考えれば、居場所を特定できることがあるが、それができていないということだ。

 

 全体として言えるのは、方向音痴の人だからといって特殊なことは何もないということだ。彼らが起こす問題は、頻度の差こそあれ、方向音痴ではない人にも、少なからず発生する。たぶんその確率がやや違うだけなのだろう。

 時々とてつもない道迷いを繰り広げる彼らに特殊性があるとすれば、おそらく迷ったときの対処法が不十分なことだ。上にも述べたように、問題があるとすぐ文脈をリセットしてしまう。これは部分的には、「自分は迷いやすい」というナヴィゲーションへの苦手意識が影響しているように思う。方向音痴という自己概念が、自己成就的に行動に影響しているのだろう。

 

NPO法人Map, Navigation and Orienteering Promotion

 オリエンテーリング世界選手権の日本代表経験者、アウトドア関係者らが、アウトドア活動に欠かせない地図・ナヴィゲーション技術の普及、アウトドアの安全のために設立したNPO法人です。

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