コラム17 定位を失う

12月の半ばに、倒れて救急車で病院に運ばれる経験をした。それは全日本リレー選手権の翌日だったが、特に疲れていると感じた訳ではなかった。むしろ朝の目覚めも爽快で、待ち合わせのある正午までは、カフェで気持ちよく原稿執筆をしていたくらいだった。

 

不調は、豊橋駅から飯田線に乗るときから始まった。電車が豊橋駅を出て3分くらいした時から、突然のように、自分がどこにいるか分からない不安に襲われたのだ。飯田線は頻繁に乗っている訳ではないから、周囲の景色に見覚えがないのは当然だ。見覚えのない場所を通過することは何度も経験しているのだから、これまでどうして、「自分のいる場所が分からない」という不安に苛まれることがなかったのだろう?

 

おそらく、いつもの自分ならそんな状態でも移動ベクトルを計算して、自分のだいたいの位置を割り出していたのだろう(これを航海用語ではdead reckoning、空間認知の世界ではpath integrationと呼ぶ)。空間認知の研究によれば、その作業は、無意識のうちに海馬(かいば)によってなされているようだ。最近軽度の「うつ」が疑われる僕の海馬は、おそらくそのような無意識の計算を怠っていたのだろう。それが、見覚えのない風景と相俟って、「ここはどこ?」状態を生み出したのだろう。

 

そういえば、ここ2年くらい頭の調子が芳しくなかったが、地図調査中に自分のいる場所が感覚的に分からず、論理的に「自分はこれこれこういう理由でここにいるはず」と納得させていたことが何度かあった。これらもおそらくは、海馬の機能が低下していたことによるのだろう。飯田線の時も、わき出る不安を抑えるために、「自分は豊橋から東海道線じゃないJR線にのった。東海道線は今南の方に見えている。だから、今乗っているのは北西に向かう飯田線だ」と必死で納得させようとした記憶がある。期せずして、道迷いがもたらす本質的な不安を体験できた。

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