M-nopコラム

ナヴィゲーションの伝道師、村越真による日々ナヴィゲーションコラム。

バックナンバーは右から、タイトル一覧は下部をご覧ください。

最新コラム

2019年

5月

02日

コラム139:自然の中のリスクに備える

 平成最後の大イベントUTMF(富士山一周100マイルレース)が終わった。27時間のところでレース短縮決定、フィニッシュまで到達したのが100名弱という残念な結果には終わったが、安全管理上の意志決定については概ね選手・関係者からは肯定的な評価を頂いた。標高1600mを超える降雪3cmの真夜中の杓子岳を、冬山の経験が必ずしもあるわけでもないトレイルランナーに踏み込ませる選択はなかっただろう。反面、それほど過酷ではなかった富士吉田でレース短縮となった選手には残念な思いが残ったと思うと心苦しい。

 

 アルパインクライマーの馬目さんは、「合理的に考える力があれば、敗退は難しくない」と、「退く勇気」を否定する。僕も同感である。今回のUTMF短縮について「苦渋の選択だ」と労ってくれる人がいる。しかし、渦中にいた人間から見れば、状況ははっきりしていた。私自身は決断が難しいと感じることはなかった。それでもいくつかの準備された必然、そして偶然が決断を容易にすることに寄与したことは確かだ。数年前から安全管理のために日本最強の山岳ガイド長岡健一さんにチームに加わってもらったこと。長岡さんは大したギャラでもないのに、当日の救助活動はもちろん、事前に全ての山域を把握するといった情報収集力を発揮して、もしもの時に備えてくれた。

 

 当日の気象状況の変化も、偶然のもたらした幸運だった。12時ごろ、雷注意報が出そうな警告が天気予報サイトで発表されていた。いち早くそれに気付いた長岡さんのアラートで、注意報が出された時の対応を考え始めていた。注意報で止める必要はないから、これは難しいことではない。それでも、日英中三カ国語で警告メッセージをSMSに出すにはそれなりに時間が掛かる。その時、可能性は低いが警報が出たらどうするかについても協議をしていた。落雷で遭難に遭うのは年間3000人の遭難中0.1%程度に過ぎないが、現代の社会状況的には警報時の継続は考えられない。この時、「警報が出たら最寄りのエイドで1時間の中断、1時間後に警報解除されなければレースは中止、と決めていた。後から考えると、この時、そこまで踏み込んで想定していたことが、後のスムースな意志決定の下地になった。実際13時に、注意報発令に対する警報をSMSで発信した。担当の女性からは「あー、30万円が・・・」と嘆かれた。

 

 リスク回避の決断を鈍らせる最大の要因は、それによって発生するコストである。やはり日本を代表するアルパインクライマーの山野井泰史氏は、遭難しかけたK2登山では、自分たちが費やしてしまったコストに対する醜い執着があったと回顧している。UTMFでも、もしレースを中止すれば途中でレースを終えた参加者を輸送するためのバスの手配、完走者をどのように定義し、彼らに対してどのようにフィニッシャーズベスト(完走賞品)を渡すかといった問題が発生する。それらは安全管理とは本来直接には関係ないが、レース中止のコストとして安全管理に影響を与えかねない。合理的にはおかしなことだが、人間の意志決定はそれほど合理的ではないことは認知心理学者が嫌というほどの実験結果を出している。幸いなことにレースは中止ではなく、途中の距離に応じた「レース」として記録認定ができることを実行委員が知っていたことで、このコストを気にすることなく、意志決定することができた。気象状況による「中止」の必要性を一番感じていたであろう長岡さんが、これを聞いた時、「あ、それなら安心して中止できる」と語ったのが印象的だった。現場での臨機応変な意志決定を阻害しない制度は、アウトドアの安全において非常に重要だと言える。

 

 短縮により途中でレースから離れる参加者をどう輸送するかというロジスティックの問題も意志決定に大きく影響する。秋開催による天候不良に何度も対応してきた実行委員会としては、その対応能力は十分に高まっていた。短縮に伴うエイドからの輸送に対応したバスの手配は、限られた資源の中で比較的スムースに実行することができた。2010年にUTMB(ウルトラトレイル・モンブラン)を視察に行った時、30kmでの中止後の臨機応変な対応に驚愕した(注1)。それに追いついたとは言えないが、7回にして不測の事態に比較的スムースに対応できる力を実行委員会が身につけたことは感慨深い。

 

注1:この年、UTMBは、最初の峠越えの悪天候の予想のため、スタート後たかだか30kmのエイドで中止となった。深夜に決まったこの中止数時間後には、翌朝イタリア側の都市クールマイヨールスタートで半周レースが行われることが公表された。先着1000人に対してバス輸送の提供があることも同時に公表された。

コラム一覧

no.139 自然の中のリスクに備える New!!

no.138 コースプランニング

no.137 若者の自然回帰

no.136 台風のさなか、走りに行こう!

no.135 台風のさなか、山にでかけよう!

no.134 Control your destiny, or someone else will

no.133 南極観測に地図は必要か?

no.132 世界最難関ロンドンのタクシー運転手試験

no.131 山のお約束

no.130 ゴールデンウィークは東京へ

no.129 那須岳雪崩遭難に思う

no.128 山岳救助有料化に思う

no.127 脳の仕組みと方向感覚

no.126 データベースの威力

no.125 橘樹今昔物語 

no.124 コンパスは飾りじゃない!

no.123 太陽が西から上がって東に向かう?

no.122 人事を尽くして天命を待つ

no.121 今、山のグレーディングが熱い! 

no.120 見えていない世界

no.119 後悔 

no.118 組み体操

no.117 通俗心理学の罠

no.116 古地図で蘇る東京

no.115 階層的規律は登山隊の成功につながるか?

no.114 精緻な数値情報は正しい危険評価に貢献するか?

no.113 山のグレーディング

no.112 リスクマネージメントとナヴィゲーションの発想

no.111 GPSスマホの落とし穴

no.110 地図の抽象性

no.109 道迷いシンポジウム 

no.108 ナヴィゲーションのファンタジスタ

no.107 登山届け義務化に反対する

no.106 ノーベル賞

no.105 安全と教育意義のジレンマ

no.104 リスクは誰にでも顕在化しうる

no.103 子どもの学び

no.102 江戸の近郷 

no.101 山岳雑誌に見るリスクマネジメント・道迷い遭難

no.100 今昔物語

no.99 城南地形萌えラン

no.98 ナチュラル・ナビゲーション

no.97 地図を使わない・・・:学校の自然体験

no.96 ドクタージェネラル

no.95 ナヴィゲーションを支える身体知

no.94 リスクマネージメントとナヴィゲーションの発想

no.93 拡張現実

no.92 空間認知心理学の進歩

no.91 研修の楽しみ

no.90 ナヴィゲーターの難しさ

no.89 地図は邪魔者

no.88 暗黙知としての地図読み

no.87 クイックOの可能性

no.86 冬山でのナヴィゲーション(2012/3/20)

no.85 はやぶさ

no.84 ナヴィゲーションスポーツで脳も体も健康に!

no.83 ナヴィゲーション・スポーツというコンセプト

no.82 反事実的思考 

no.81 山岳遭難の現状2011

no.80 登山に地図を生かすには?

no.79 できる人は地図思考

no.78 時には悪天候も悪くない

no.77 赤色立体図はすごい

no.76 ナヴィゲーションへの組織的な動き 

no.75 生きて帰る 

no.74 現在地が分からない

no.73 折り紙の地形

no.72 緊急特集:道迷い遭難

no.71 読めないふり

no.70 女は地図が読めないか?

no.69 GPS vs 地図読み

no.68 ブラッシュアップ

no.67 学習登山 

no.66 大人はなぜつまづくのか? 

no.65 読図を教える

no.64 ゆらぐ

no.63 高まる読図への関心

no.62 富士山アウトドアマップⅡ

no.61 地形萌え

no.60 読図力とその自己評価

no.59 中高年遭難という言説

no.58 2008全国遭難対策協議会に参加して

no.57 死者は語る

no.56 あらためて知るコンパスの効用

no.55 地図屋の気概(3)

no.54 地図屋の気概(2)

no.53 コンパスをテストする

no.52 広がる読図講習会

no.51 今年もセンター入試:1/21

no.50 07年を振り返って

no.49 ナヴィゲーション・マスター

no.48 女性セブン

no.47 地図屋の気概

no.46 読図講習会で学んだこと 

no.45 ショップと共催の読図講習会

no.44 地図に訊け!

no.43 ハザードマップ実験をして

no.42 「考える力つく」地図帳

no.41 ロゲイン

no.40 尾根・谷を区別する 

no.39 地図から分かること 

no.38 センター入試再び

no.37 専門調査委員会に出席して

no.36 読図・ナヴィゲーションへの関心

no.35 冬眠

no.34 乗り過ごす

no.33 教育にオリエンテーリングを

no.32 地図物語

no.31 有度山ロゲイン

no.30 ブラックアウト再び

no.29 アウトドアショップの意気込み

no.28 危うく道迷い

no.27 海外遭難事情

no.26 地図で迷う

no.25 傾斜の感覚

no.24 実践の発想

no.23 『キルプの軍団』 

no.22 シルバの新しいコンパス 

no.21 香港でのハイキング  

no.20 地図を見る様々な視点 

no.19 ナヴィゲーションで「失敗学」しよう

no.18 被験者になる

no.17 定位を失う

no.16 地図という比喩

no.15 センター試験

no.14 GPSは役立つか

no.13 コンパスの使用説明書

no.12 読図講習会を行って

no.11 読み書きそろばん、ナヴィゲーション

no.10 ブラックアウト

no.9  方向音痴の人と街を歩く

no.8  ナヴィゲーションの生態学

no.7  究極のアウトドアマップ

no.6  地図への関心

no.5  あきれたガイドマップ

no.4  地図のアイデア商品

no.3  人はアウトドアで正しく地図を使えるか?

no.2  ナヴィゲーション用具の利用は難しい

no.1  狂ったコンパス 

NPO法人Map, Navigation and Orienteering Promotion

 オリエンテーリング世界選手権の日本代表経験者、アウトドア関係者らが、アウトドア活動に欠かせない地図・ナヴィゲーション技術の普及、アウトドアの安全のために設立したNPO法人です。

活動をサポートして下さる方を募集しています

2015年3月のシンポジウムのプログラムと村越の発表資料を掲載しております。

初心者に最適なコンパス、マイクロレーサー