コラム117:通俗心理学の罠

ヤマケイの2016年2月号は「山の遭難」特集。話題の端境期となる2月号によく掲載される定番特集である。遭難のレポートは多くの人が興味を持つし、「教訓」はお勉強感がある。しかし、内容の練りという点ではまだまだ物足りない。

 

 今回の3本柱は、「体力不足」「道迷い」「楽観主義」である。体力不足は遠因としての持久力不足、転倒の直接原因だと思われる筋力/平衡力が要因としての比重が大きい。今回の特集では、原因分析から克服のためのトレーニング法までかなり具体的に示されているのは、評価ポイントだが、一方で特に直接の原因となっている筋力/平衡力が全体の中に埋もれてしまっているのが、残念。

 

 体力不足と道迷いは具体的なスキルと直結するので、分析、教訓、そして対処法、いずれも明確だ。一方、楽観主義はどちらにも影響し、単独の要因ではないことは編集段階から指摘したのだが、結局この3本柱になってしまった。問題は多いのだが、読者が「なるほど」と思って(そして学んだ気になって)読んでくれるからだろう。そこに俗流心理学が入り込む隙間が生まれる。

 

 この項に登場する「楽観主義」あるいは「正常性バイアス」、これが正直気にくわない。もともと災害やリスクに関係する考え方が現実とは乖離してしまっていることを指す心理学概念だが、これらの領域も含めて、安易に使われている。一人一人のスキルや登る山によってリスクが異なるのだから、ある人の「安全だ」という判断をとって、「楽観主義バイアスが働いている」とは言い切れない。事故にあったのだから異常な場にいたはずであって、そこで事故防止の手を打たなかったのだからそれは「バイアスでしょ」ということなのだが、むしろそれは「後付けバイアス」と名前がついている。後から考えればなんでも言える、という訳だ。

 

 正常性バイアスについてはこんな説明がある「異常事態でも正常の範囲と誤認し、対応や判断を誤る心理的傾向」。この説明自体は間違っていない。しかし、そこには「異常」は必ずわかるという(誤った)信念がほの見える。リスクはそもそも確率的な概念であり、だからこそ避けることが難しいのだ。そして確率的概念であるとは、制御できないなんらかの要因が働いてリスクが顕在化して事故やトラブルになることを意味している。つまり「異常事態がわかるはず」という考え方自体がリスクとは対局にある考え方である。「ある時点では異常か正常かがわからない」から、結果としての損害は確率的に発生し、だからこそ「リスク」と呼ばれるのである。

 

 正常性バイアスも楽観主義バイアスも「だから事故につながった」という説明的な言い方をよくされるが、そうではなくて、記述的な概念なのである。つまり「客観的に見れば異常へのシナリオの兆候である事態に対して、正常範囲内のシナリオであると見なす」ことを正常性バイアスと呼んでいるのであって、どうして正常と見なすのかという原因を説明しているわけではない。そこで「だから事故につながった」と考えたら、それこそ思考停止に陥ったことになる。

 

 個人的な経験事象において、リスクをどう定義するか、またリスクを人がどう見ているか、どう見ることがリスクによる損害の顕在化を抑制するかは、山の危険とその防止法を考える上では重要なステップになるはずなのだが、研究の世界ですら十分にそれができているわけではない。遭難減少に向けて、避けて通れないハードルである。 

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