コラム バックナンバー 121-140

2017年

8月

29日

コラム131:山のお約束

 ヨーロッパの登山国と言えばスイスやドイツが思い浮かぶだろう。スイスには世界から登山家が目指す山あるので当然の印象だが、登山の国民的広がりという点ではノルウェーも負けていない。登山をする人が人口のどの程度の割合を占めるかについての統計では、日本の登山人口は8-10%ということになっている。これは1年に1回以上登山・ハイキングをする人の割合である。15歳以上が対象なので、概ね800-1000万人という数になる。

 

 同様の統計(年に1回以上)でノルウェーはなんと90%が登山人口なのだ。少し古い統計だが、人口約400万人強のノルウェーにあって、登山連盟(正確にはトレッキング連盟と呼ぶべきであるが)の加盟数は20万人。20人に一人が加盟員なので、日本で言えば600万人近い会員がいることになる。連盟によって全国各地の登山ルートにマーキングや山小屋の整備がなされている。

 

 先日ノルウェーを訪れた時にも、山国ノルウェーらしさを感じさせる経験をした。五輪で有名になったリレハンメルの普通のお土産屋に寄った時のことだ。写真のような紙ナプキンがお土産に売っていたのだ。その国らしい風景や意匠の図柄を描くお土産用紙ナプキンは珍しくない。この紙ナプキンに書かれている「fjellvettreglene」は英訳すればNorwegian Mountain Code、つまりは山登りのための規範、という意味で、その9箇条が書かれているのだ。この「お約束」は英語にも訳されて、ウェブでも見ることができる(https://www.fjellforum.no/forums/topic/4416-the-norwegian-mountain-code-fjellvettreglene-in-norwegian/

 

 「よく準備して入山しよう」「地図とコンパスを使おう」などは日本にもそのまま当てはまる。ただし地図とコンパスの使い方については、文章末に示したように、ナヴィゲーションの中でどう使うべきかについてのより具体的な方法が指摘されている。そのほかの7項目の中でノルウェーらしいものと言えば、他の一般的な項目に並んで「体力を温存して、必要なら雪洞を作りなさい」くらいだろ 

う。山で自分の身を守るためにすべきことは世界のどこでもあまり変わらないということだ。

 

 個人的に興味深かったのは、「あなたのルートについての言葉を残しなさい」差し詰め日本なら「登山計画書を提出しましょう。」だが、それをより本質的な「ルートについての言葉を残す」と表現している点が注目に値する。もっとも昔はなかった「notification box(ルートについての記載書入れ箱)が小屋や山頂に設置されているところを見ると、本来あるべき山の習慣についての規範がノル 

ウェーでも崩れつつあるのかもしれない。

 

use map and compass(上述URL英語版より)

Always have and know how to use map and compass. Before departing, study the map and trace your route to gain a basis for a successful tour.  

Follow the map, even when weather and visibility are good, so you always know where you are. When visibility deteriorates, it can be difficult to determine your position. Read the map as you go and take note of points you can recognize. Rely on the compass. Use a transparent, watertight map case attached to your body so it cannot blow away. Take bearings between terrain points on the map that can guide you to your goal. Use the compass to stay on a bearing from a known point.

 

日本語訳

 地図とコンパスを常に持ち、そして使い方を知っておきましょう。出発前に地図を注意深く眺め、あなたのルートを地図上でたどることでトレッキング成功のための基礎を得ておきましょう。天候と視界がよい時でも地図上で場所を追い、いつでもどこにいるか分かるようにしておきましょう。もし視界が悪い時には、現在地を把握することは難しくなるかもしれません。進む時に地図を読み、認識 

可能なポイントを意識しておきましょう。コンパスを信じましょう。透明で耐水性のあるマップケースを使い、風で飛ばされないように身体に付けておきましょう。地点間では進行方向を把握することで、目標地点までそれによって誘導されるようにしましょう。そして既知の点からの進行方向から離れないようにコンパスを使いましょう。

 

 

「山のお約束」を書いたお土産用紙ナプキン

山頂に設置されたルート記載書入れ


2017年

5月

09日

コラム130:ゴールデンウィークは東京へ

 珍しく何の行事も入れていないゴールデンウィークオリエンテーリングの研修の準備で草津に行こうかとも思っていたのだが、わざわざ混んでいる時期に行楽地に出かけることもないだろう。ひょっとして東京なら空いている?ニュースウォッチ9の桑子アナも「東京は水色(平常時の人出より人出が少ない)」「最高は福井の80倍」と、行楽地の混雑情報を教えてくれた。

 

 明治時代の地形図に、オリエンテーリングのコースを組んで東京の城南地区を走る。目的地は今でも分かるはずの場所として大きな神社や仏閣、町歩き案内本に載っている史蹟や庚申塔などを選ぶ。明治初期には山手線も通っていなかったから、渋谷や池袋は狐や狸の出そうな農村だ。明治中期にはさすがにこのエリアは市街化されたが、そこから城南地区にかけては、里山と耕作地の田園が広がっ

ている。そんな風景を描写する明治期の地図を手にして目的地に向かって走ると、頭の中は明治の郊外の風景のイメージで満たされ、その風景の中にある特徴物を求めてナヴィゲーションしているうちに、次第に暗渠は「春の小川」に変わり、斜面緑地は武蔵野の雑木林に頭の中で変換されてしまう。

 

 明治31年作国木田独歩の「武蔵野」に「夕暮れに独り風吹く野に立てば、天外の富士近く、国境をめぐる連山地平線上に黒し」と描写したのは、さしづめ今のNHK放送センターのあたりであろう。渋谷周辺を散歩した独歩は、鳥の羽音、風のそよぐ音、叢の陰、林の奥にすだく虫の音、空車荷車が野路を横切る音、騎兵演習の斥候か、あるいは夫婦で遠乗りにきた外国人の馬の蹄が落葉をけ散らす音

を聞く。そんな風景が自分の頭の中にも知らず知らずのうちに蘇ってくる。

 

 古地図でのオリエンテーリング、ノスタルジアに浸れるだけではない。ナヴィゲーションスポーツのスキルの本質は、地図から現地と対応可能な必要最小限の情報を読み取ること、そして、本来は異なる情報量を持つ地図と現地を対応し、「ここだ!」と自分を納得させることにある。建物も道の多くの今とは異なる古地図では、もともと現地と対応できる情報は限られている。どの情報が利用でき

るかという視点で地図情報を読み取る。対応できる情報を風景の中から見つける。そのプロセスが地形や些細な傾斜の変化などに敏感にさせてくれる。ナヴィゲーションのトレーニングとしても得がたいチャンスなのだ。

 

 もう一日は、玉川上水の分水である品川用水を、武蔵境から大井町まで走った。電車で移動しても優に50分は越える距離である。25kmの距離を自分の足で走ってみると、江戸時代にこれだけの土木工事を成し遂げた技術力や財力、企画力が偲ばれる。ところどころに当時の水神や庚申塔、水車そのものはなくなっているが、その痕跡を示す立て看板などがあってあきない。

 

今年のゴールデンウィークは終わってしまったが、秋のシルバーウィークや来年のゴールデンウィークは、古地図を持って東京散策!はいかがだろう。ついでに村尾嘉陵の「東京近郊道しるべ」(江戸期の武家のお散歩日誌)や国木田独歩の「武蔵野」を読んでおくと、さらに頭が妄想モードになる。いつもよりちょっとばかりのんびりした東京で、お金、時間、エネルギーともに優しい田園散策体験が味わえる。

下北沢南部の北沢用水沿いにある森巌寺。山門の左にある石柱には、「東:あをやま(青山)、南:ゆうてんじ(祐天寺)、めくろふとう(目黒不動)」とある。

2017年

4月

08日

コラム129:那須岳雪崩遭難に思う

 前回のコラム「救助ヘリ有料化」の議決が埼玉県の議会でなされたその日に、栃木県の那須岳で悲惨な雪崩事故が起こった。雪崩による遭難は毎年10-20人程度が巻き込まれている(死亡数は不明)。従って、山岳遭難3000人の中では決して多い遭難ではないが、起こらない遭難でもない。しかし、今回の事故は前途有望な高校生を含む8人が一度の犠牲になった。しかも、課外活動である登山部が「春山研修」として県単位で行っていた講習会においての事故であっただけに衝撃は大きい。学校というある種特殊な組織の活動で発生した事故ではあるが、山のリスクという視点でこの事故が投げかけたものは、山や自然に親しむ私たちに多くの教訓を投げかけてくれる。

 

 第一に山に「絶対安全」はないという点。講習の指揮をとった顧問の先生は記者会見や新聞報道では「絶対安全」として事故にあったラッセル訓練を実施したということだが、管理されていない自然の中で、まして雪に覆われた時期には、どんな些細なことでも大事故につながる可能性があり、絶対の安全などないのだということ。関連して、顧問の先生はベテランだという報があったが、本当の山のベテランが「絶対安全」というのだろうかという疑問が個人的には残った。

 

 関連して、もしラッセル訓練が事故が起こった場所である尾根上の急傾斜地の直下の林のない場所であることを知りながら、安全だと考えていたのだとしたら、雪崩についての貴重な知見が全く生かされていないことになる。遭難の原因になる気象現象は、基本的に物理現象だから、発生要因は明らかだし、発生には不確実性があるとしても、知識があれば危険性をある程度は判断できる。山の危険に関する知識とその使い方についての根本的なところに課題があるのではないだろうか。

 

 第二に学校教育におけるリスクとのつきあい方である。部活動は生徒の自主性に任される部分の多い学校内での活動だが、実質的には顧問が深く関与している。加入は自由だが、一度入れば、どんなに不安があっても「今回は止めます」「今度の山行は興味がないので僕はいきません」とは言えないだろう。不安や乗り気でないのにリスクに晒されることは非常に辛いことだし、危機管理的にも問題だ。リスクがあるからこそ価値がある。これは高校生でも変わらないと思う。しかし、そこに強制や準強制があるとすれば、許容されるリスクはぐっと低いものである必要がある。そんなところに無頓着な学校教育の姿勢が「組み体操」の事故では社会から問われ、あっという間に組み体操全面禁止に等しい実態となってしまった。登山を文化として残そうと思うなら、強制力と許容されるリスクレベルについて、もっと議論がなければならない。

 

 一方で、これは学校教育に限った問題ではない。大人の自由に見える山登りでも「1年以上前から約束していた登山」に体調が悪いからという理由でキャンセルできるだろうか。あるいは山頂間近で高山病になった時、無理しても着いていくのではないか。リスクのある活動の中での「強制」の影響は、万が一事故が起こった時の関係者の心情に大きな影を落とす。

 

 最後に気になるのは「冬山原則禁止」の通達だ。高校生以下では冬山登山は文科省の通達で原則禁止となっている。それなのに県単位で雪山で講習が行われているというのもおかしな話だが、禁止だから「春山」と名付けてやっているというのが正直なところだろう。原則禁止の中でやろうとするからそういうことになる。春だから安心だとは思わなかっただろうが、冬の厳しさの中で敢えてやることに伴う緊張感、最大限の努力がどこかで失われていないだろうか。

 

 冬山や高校生登山への過剰な規制も気になる。そんな中で山岳県である長野県の教育長は「「登山は一つの文化。一切禁じることはあり得ない」と述べたという。教育の長に立つものとして慧眼である。

2017年

3月

27日

コラム128:山岳救助有料化に思う

 3月27日の埼玉県議会でヘリによる山岳救助の要する手数料を徴収する条例が可決されるという(毎日新聞掲載)。かつて、田中康夫長野県知事が山岳救助ヘリの有料化を提案していたが、「救急車が無料なのと整合性がとれない」といった公平論や「窮地にある人を救うのは当然」といった道義論に有効に回答することができず、実現しなかった。今回の条例では、飛行に必要な燃料費分であるいわば「実費」を徴収する、という形でこうした課題をクリアしたように見える。

 

 新聞記事に取り上げられた意見(もちろん新聞社の選好がかかっているので、社会的な意見分布とは異なるだろう)を見ると、反対意見が目立つ。私は、ヘリ有料化は基本的には賛成の立場で、これは毎日新聞にもとりあげてもらった。新聞記事は3行ほどのコメントであり、十分意を尽くせなかったこともある。そこで、ヘリ有料化に賛成の理由を少し紹介しておきたい。

 

 この条例の制定に賛成な理由は、それが登山者の責任についての格好の問題提起になるからである。山は本来、行政サービスによる安全化が及ばない高い空間である(またそのような空間を残すことには様々な意味がある)。だから、他者によって安全を確保されていない環境に自分の意志で入る人は、基本的にそこでの安全について自分で責任を採らなければならない。そうでなければ、山は安全の確保と引き替えに様々な規制を受ける場となってしまうだろう。

 

 一方で、未組織登山者による登山人口の急増により、こうした点を意識していない登山者が増えてしまった。山岳遭難の漸増傾向には、登山者自身の責任についての理解の欠如が大きいと考えられる。しかし、行政や山岳団体もそれに対して十分な啓発を提供できていない。それどころか、山で窮地に陥れば無制限に行政が助けてくれるかのような状況が作り出されている。

 

 今一度、山とはどのような環境か、そしてそのような環境に自らの意志で立ち入るとき、そこにどのような責任があるのかを登山者が意識しない限り、遭難は減少しない。登山者の意識形成と条例制定は必ずしも直結するものではないが、登山者に意識してもらうための行政が切れる数少ない有効なカードが、ヘリ有料化だと考える。

 

 これを期に、山とはどのような場で、なぜリスクがあるのか。そのリスクに対して誰がどのように責任を分担していくのか、といった根本的な論点整理につながるような議論が広がればと思う。

2017年

2月

28日

コラム127:脳の仕組みと方向感覚

 11月に開催された橘樹今昔物語の際(前々回コラム参照)、JR南武線の武蔵溝ノ口駅で降りて、バスで会場に向かった。バス停から降りて歩いている時、ふと大通り沿いにある敷地の広い古風な屋敷の脇を通る時に、「この屋敷は、1年前の多摩川今昔物語で通った!」という記憶が蘇った。

 

 多摩川今昔物語は対岸の二子玉川の会場をスタートにして行われた。ずっと明治期の地図で走っていたから、武蔵溝ノ口を通ったという記憶は片鱗も残っていなかった。この屋敷にCPがあったかも定かではないが、なぜか、大通りに出る手前に敷地の広い瀟洒な屋敷があり、「こんなところにこんな古めかしい屋敷があるのだ!」と、明治期の景観と関連づけて印象に残ったことは覚えていた。

 

 自分の中に地名の記憶は全くなかったし、この時のこともそれまで思い出すことはなかった。だが、位置関係、そして特徴的な景観の記憶が残っていて、それが今回別の視点から見た景観によって活性化されたのだろう。

 

 心理学では、こうした現象をプライミング(先行)刺激と呼ぶ。人間の記憶はコンピュータとは違い、脳の中の神経細胞が相互に刺激しあう結びつきの強さによって維持されている。その結びつきは多くの場合意識できない。だから、それまで意識もしなかったことが、突如なんらかの刺激によって思い出されることがある。「思い出した」という意識のあるのはまだいい方で、それが無意識のことすらある。たとえばS□□Pの□にアルファベットを入れて英単語を完成するという課題がある。事前にWASHという単語を読んだり聞いたりしていると、SOUPよりもSOAPを思い浮かべる可能性が高くなる。そして、しばしば本人はその影響を意識することすらできない。

 

 そのような脳の基本的メカニズムを考えると、方向感覚や定位の感覚もまた、こうした無意識による記憶に多くを依存しているのだろう。場所の特徴に興味をもったり、周囲の場所場所の位置関係に敏感になることが空間や場所の刺激に対する脳の中での結びつきを強める。それがある場所の風景を見たときに、「ここにいる!」という感覚につながるのかもしれない。武蔵溝ノ口での私の経験は、期せずして脳のメカニズムを自分に気づかせてくれた。

 

2016年

12月

07日

コラム126:データベースの威力

 日本スポーツ振興センターが、学校事故データベースというのを公開している。毎年の負傷・障害・死亡の統計と死亡・障害については簡単な記述がこれまでにも冊子として公開され、pdfやエクセルでもデータ提供がなされていたが、近年、死亡・障害については検索も可能なデータベースとなった。学校(幼稚園から高等専門学校)に至る通院を必要とした事故のほぼ全貌が分かるデータベースである。

http://www.jpnsport.go.jp/anzen/Tabid/822/Default.aspx

 

 「学校のリスクマネジメント」という授業で、これを使った実習を試みた。「データベースを使って興味のある事故について調べ、それがどのようにカテゴリー化できるか、またその背後にある要因は何で、対策として何が考えられるか。」これが思いの外興味深かった。事故は突き詰めていえば、人的要因(不適切な行動)と環境要因(ハザード)によって発生するが、事故内容やその状況によって、それらの具体的様相は異なる。学生の興味によって調べることで、5000件を越える雑多な事故の一部かもしれないが、重要な整理の見通しがたち、こちらも勉強になった。理論物理学には学生レベルで取り組める問題は少ないが物性分野ではいくらでも研究主題が転がっており、その中にはその後の大発見につながるようなテーマがある、というのと似ているかもしれない(これは私の認識なので、現状としてはそうではないかもしれませんが)。

 

 たとえば、特別活動中の事故といえば近年組み体操(運動会)が注目を集めているが、死亡事例で一番多いのは給食中で、過去11年間で21件である。もちろんこれらの中には突然死も一定数あるが、それ以外の3大原因としてはアレルギー、のどに詰まらせる、食中毒があり、前2者が比較的多い。こうした事実だけでも教員の見る目が変わる可能性がある。

 あるいは、課外活動の中でもっとも事故の多い野球の原因は①ボールの直撃、②そうでない事故に分けられるが、①では死亡事故は発生しておらず、②では熱中症による死亡、落雷、ふざけてヘッドロックを受けた生徒が死亡など多様なリスクが見て取れる。

 

 これは授業中ではないが、リスクを研究している指導院生がこんなことを調べた。近年大問題になって、この半年で大きく動いた組み体操(教育委員会によっては全面禁止である)は確かに発生件数が多いが、種目別に見ると、中学校では、むしろ準備・整理運動の方が事故が多いのだ。本来、運動由来のけがを防ぐための準備・整理運動でこれだけの事故が起こっているなんて、データを実際に見なければ想像だにできないだろう。しかも、組み体操なら止めれば済むが、準備・整理運動をやめることは難しいだろう。馳文科大臣は「組み体操は危険な状況になる可能性のある教育活動」(2016/2/10朝日新聞)と指摘したが、準備・整理運動はもっとリスクが高いかもしれない。リスクは多面的に見なければ、エネルギーの投入先を間違え、結果として別の大きなリスクを見逃してしまう可能性にもつながる。研究者が肝に銘じなければならない点だと痛感した。

 

2016年

11月

23日

コラム125:橘樹今昔物語

樹今昔物語

 私が古地図(明治期の迅速測図)での街巡りを始めたちょうどそのころ、古くからのオリエンテーリングの友人も古地図を使ったロゲイニングイベントをスタートさせた。名付けて「**今昔物語」。**の部分にはそのエリアの地名が入るのだが、「荏原」だったり、「橘樹」だったりと、古来の郡名が入ってノスタルジアを誘う。名称のとおり、当初は昔の地図(明治期の地形図)と現代の地図の両方が用意され、一般クラスは現代の地図でまわり、地図ヲタククラスは昔の地図でまわる設定になっていた。古地図なのだから、道路も建物も「でたらめ」に近い。それでギブアップして現代の地図を見ると、「一般クラスに格下げ」になる(自己申告である)。

 ところが、回を重ねるごとに、意外と古地図でもまわれることが分かってきた(コラム116など参照)。それ以上に古地図でまわるとその時代にタイムスリップしたような体験が楽しめることが浸透してきた。今回参加した橘樹今昔物語では、ほとんどの参加者は古地図だけで最後までまわってきたようだ。それはそうだ。何しろ原寸大の明治期テーマパークである。その楽しみを放棄して現代の地図を使う理由は見当たらない。もはや「昔物語」である。

 イベント後、両方の地図を初めて見た参加者の多くが口にする感想が、「こんな地図(現代の)じゃ、回れない、飽きる!」。現代の地図は建物と街路が一面に覆った住宅地になっている。街路をいちいちチェックしなければ迷ってしまいそうだ。地図から住宅地をイメージするだけでうんざりする。一方で、明治の地図は等高線で描かれた里山と近郷集落のみのシンプルな内容で、のどかな里山のイメージがふくらむ。イベント中、里山のトレイルの上にいる妄想に包まれる。走り終えた後は、「今日は5時間トレラン愉しんだ!」と本気で思えてしまうのだ。

 今回の「橘樹(たちばな)」は川崎市の北東部、多摩川にそった地域であり、多摩川の平地を望む丘陵地がイベントの舞台となった。宅地開発で大規模の地形が改変されているという印象があったが、高度経済成長期以前の比較的早い段階で小規模に開発されたためか、地形はほぼ残っている。実は古地図ロゲイニングにうってつけの場所だった。

 ポイントは平地を望んだ丘陵上の貝塚や古墳だったりする。もちろん古地図だからアプローチは地図情報だけでなく、風景の展開や知識などを駆使する。古代人ならどこに住みたいか、死後どこに葬られたいかと考えて近づくと、「やっぱりね」という場所にポイントはある。明治どころか縄文時代、古墳時代にもタイムスリップした5時間だった。

 

cp46は子母口貝塚

眺望良好、日当たりよし。貝塚は古代のタワーマンション。


2016年

8月

25日

コラム124:コンパスは飾りじゃない!

 2001年以来、読図講習で多くの方と接してきた。そこでよく言われる言葉が「コンパスの使い方がよく分からない。コンパスが使えるようになりたい。」ところが、よく聞いてみると、彼らの多くが身につけたがっているのは、ベースプレートを使って設定した方向にまっすぐ進む「直進」という技術なのだ。

 

 確かに直進はシルバコンパスを代表とするベースプレートコンパスだからできるテクニックだ。身につければ「コンパスが使える」って感じがとってもする。だが、日本の山野で登山者が直進を必要とする場面がどのくらいあるだろう。年間おそらく1000回を超えるコンパス参照機会がある私でも、直進をするのは年間で数回あればいい方だろう。シルバコンパスは林の中を自由に進むことのできる地形・植生のスカンジナビアで、精度の高いナヴィゲーションのための道具として生まれたのだ。

 

 持っている道具のスペックを最高に引き出すテクニックを身につけたいのは当然の欲求だとしても、その副作用として本来のコンパスの使い方が身につかないのでは本末転倒だ。実際、山岳遭難の40%を占める道迷い遭難の一定数はコンパスの基礎的な使い方を身につけていれば間違いなく防げたと思う。日本の遭難対策史の転機となった愛知大学山岳部の薬師岳遭難でさえ、コンパスの適切な使い方を知っていれば防げた可能性がある。それもシンプルなコンパスで。

 

 日本という環境に適したコンパスの使い方をまず身につける。それがシンプルに導かれるコンパスが必要だ!多くの方と接する中でそう考え、最適なコンパスとしてシルバ社のマイクロレーサーをしばらく使ってきたが、廃版になってしまった。特別に頼んで1ロット作ってもらったが、さすがにそれももうできない。もともと子どものオリエンテーリング学習用のマイクロレーサーを登山で使うと、不都合なこともいくつかあった。それらを改良して、このほどオリジナルコンパスを作成した。

 

【詳細URL http://www.o-ajari.com/compass/#cc-m-product-9116428870】

 

 

 頼りなく思えるかもしれない。しかし、日本の普通の山行で必要な機能は十分備えている。もともとベースプレートコンパスが、日本の通常の山行ではオーバースペックだったのだ。それは高性能のロードレーサーのようなもの。自転車を乗れない人がいきなりロードレーサーで練習はしないだろう。危険すぎる。まずはままちゃりで自転車の乗り方を覚え、自転車を漕ぐ気持ちよさを知ることでロードレーサーの真価も分かり、安全に乗ることができる。まずはこの「ままちゃり」でコンパスの必要場面とありがたさを実感していただきたい。ベースプレートコンパスを買うのは、それからでも遅くない。いや、むしろその時こそがベースプレートコンパスを十全に使える契機なのだ。

2016年

8月

17日

コラム123:太陽が西から上がって東に向かう?

 太陽が西から上がって東に向かっているような気がしてならない。先日、ロゲイニングの世界選手権でオーストラリアにいった時に感じたことだ。だいぶ前にオリエンテーリングの現役選手だった時に南半球にいった時もそんな感じがしていたことを思い出した。もちろん、南半球でも地球の自転の方向は変わらないから、太陽は東から出て西に沈むはず。どうしてそんなふうに思ってしまったのだろう。

 

 考えてみて気づいたのは、太陽が正午に北を通るということだ。赤道より南にある南半球では、太陽は正午に南中ではなく北中する。だから日当たり良好なのは北向きの部屋なのである。だが、北半球の生活に慣れた頭が、無意識のうちに太陽が昼間に通るところを南と位置づける。それを基準にして他の方角を割り当てるから、東が西に、西が東に思えてしまうのだろう。考えないと気づかないくらいだから、「昼に太陽があるのが南」というのは相当強力な枠組みである。しかも、自分で太陽の方向を確認して方角を意識しているつもりもまったくないから、無意識のうちに南の決定とそれによる他の方角の割り当てが行われている。

 

 他の人が同じように感じてしまうかどうかは知らないが、これはおそらく私が方向感覚がいい故の副作用なのだろう。方向感覚がよいとは、方向に関する情報を処理し、それによって場所が変わったり、向いている向きが変わっても方向を適切に見極める能力だから、それは無意識の処理に多くを負っているはずだ。その結果が、獲得した枠組みとは違う場所で有効ではないのに無意識に使われるために、奇妙な感覚に見舞われるのだろう。

 

 今回のロゲイニングで会場となったキャンプ場は南にゴルジュが抜けているが、そのゴルジュは今以て、キャンプ場から北に向かっているような気がしてならない。そしてスタート後はその反対に向かったのだから、北に向かったのだが、今でも頭の中では南に向かったように記憶している。大会の前日に泊まった街も南からアクセスしたのだが、気持ちの中では逆向きになっていた。地図もなしに街で買い物に歩いた時には、頭の中の方向感覚と実際の方向が干渉して、あやうく反対方向に進むところだった。

 

 南半球で暮らす人は日本に来たらどんな感覚になるのだろう。聞いてみたいものだ。

 

 

ロゲイニング世界選手権。スタート後北に走り出す人たち。影が後ろに伸びているので、北半球の「常識」では南向きのはずなのだが。

2016年

7月

16日

コラム122:人事を尽くして天命を待つ

 ノースフェイスさんから2016年の春から夏のカタログをいただいた。これが滅法かっこいい。黒い表紙にノースのロゴ。しかし、感心するべきはそこではない。サポートしているアウトドアアスリートたちからのインタビュー記事が添えられているのだが、これがデザイン以上に印象的なのだ。


 アルパインクライマーの馬目裕仁さんのインタビューが掲載されていた。高所登山に取り組むクライマーの中にはガイドを生業にしている人がいる。しかし、自分自身の挑戦である登山とガイド登山とはリスクに対する意識という点でも大きな違いがある。馬目さんは、その両立はできないということで、自ら「木こり」を生業にしているという。


 「自分自身では制御できない不確定要素、それに挑戦することへのあこがれです」と、言葉が引用されている。これは分かる。アルパインクライマーの多くが同じようなことを言う。不確定要素への挑戦は高所登山の本質といってよい。しかし、「不確定要素」に対する態度は、一般の人とはかなり 違っている。「かなり雪がひどくて、これは命に関わると判断して初日で敗退を決めた」という言葉も引用されている。「制御できない不確定要素」といいつつ、それを意識すると同時に、どう対応するかという点ではかなり保守的なのだ。


 さらにしびれるのが、よく言われる「退く勇気」に対する考え方だ。「合理的に考える力があれば、敗退は難しくない」と、「退く勇気」を否定する。「先に進むかどうかは、本当に駆け引きが難しい。ただ、僕はそこから敗退できるかってことは常に考えている。」やっぱり大きな枠組みでは自分でコントロールできる範囲がどこまでかを常に意識しているのだ。

 

 最後に名言で締めくくられる。「登頂はいつでもあきらめられるけど、帰ることを諦めるわけにはいかないですから。」もちろん、高いリスクに挑戦する冒険家たちで「諦めた」人はいないだろう。だが、彼の言葉には「結果として諦めるようになる行為」も含めてコントロールしていこうという強い意思が感じられる。

 

 ライターの名前は出ていなかったが、一見した矛盾のある馬目さんの考えを、文章からちゃんとトレースできるほどに書いたライターもファインプレーだ。すぐれた実践家の一言も、正確な書き手がなければ伝わらない。こんなライターがもっともっと育てば、山のリスクに対する登山者の意識も変 わるはず。


 諦めという言葉で思い出したことがある。最近見た新聞の投稿記事で「大災害に対してはどこかで諦めが必要だが、それは何も考えずになるようになれ的な諦めではなく、覚悟のあるあきらめだ」(佐伯啓思(2016.5.5朝日新聞)という主張が出ていた。心理学で数多くの「不確実性」に関する研究がおこなわれているが、その不確実性は実は性質のことなる二つの要素からなる。一つは知識不足による不確実さであり、もう一つは確率事象による不確実さだ。たとえばバスの時刻表を知らなければバスがいつ来るかは不確実だ。これは前者である。しかしいくら時刻表に精通しても、バスの来る時刻には不確実さが残る。交通状況、その日の天気・・・。これは確率的な不確実性で、知識だけでは解決しない。前者に対しては常に努力が必要だ が、同時に後者に対する諦観も必要だ。これは大震災でもリスクの高い活動でも同じだ。

 

 高所登山家の言葉は、「人事を尽くして天命を待つ」心構えを示してくれる。

2016年

6月

07日

コラム121:今、山のグレーディングが熱い!

 6月11日に日本山岳協会の指導委員会に依頼されて、山のグレーディングについて話をすることになった。グレーディングの開発者ではないが、熱烈な支援者として、自分自身も勉強してみることにした。そして勉強だけでなく、他の国に同様のシステムと比較したり、実際の道迷いのプロセスと対 比させてその妥当性を考えるなど、ちょっと研究者っぽいこともしてみた。

 

 山のグレーディングは初めてその存在を知った時には、正直衝撃を受けた。登山や山歩きが盛んな国では登山道をランク分けしているのは知っていたが、せいぜい3-5段階だ。それがいきなり体力10段階×技術5段階の50マトリクスによるグレード化。精緻な日本の物作りの原点を見るかのような緻密さではないか。「山のグレーディングは、新幹線に並んで日本が世界に誇る安全システム」この評価だってあながち誇張ではない。

 

 体力度については、鹿屋体育大学の山本先生の長年にわたる研究成果に基づくものだけに、運動生理学の研究と実践に基づいたかなり信頼性と妥当性の高い指標だと考えられる。おまけに、山本先生はマイペース登高能力テストという、登山者側の評価指標まで作ってしまった。グレードによって登山道で必要な体力が分かる。そしてマイペース登高能力テストによって自分の体力が対応する形で分かるのだ。ただ両者には若干のずれがある。テストの方は、無理なく上れるエネルギー消費率(メッツ)が示されているのに対して、グレーディングの体力度は消費率と時間との積算である。このあたりは十分に啓発が必要なところだろう。

 

 一方で技術度の指標にはまだ改善の余地があるように思う。専門である道迷いについて考えてみると、グレーディングに示される(地図読み能力が)「必要」と「望ましい」の違いが曖昧である。またランクBの「わかりにくい」とC「道標不十分」、D「道標限定的」の区分もわかりにくい。たぶん道迷いのプロセスと関連づけ、「道間違い」→「(ほんとうの意味での道(上での)迷い」→「ルート(道)はずし」に対応するスキルと位置づけるとすっきりするだろう。

 

 「遭難減少のための安全システム」と考えれば、さらに考えなければならない点がある。登山者に活用されるほどにシンプルか、全国に広げる上で信頼性(どこでも同じに評価されるか)は十分か、自己責任やパターナリズムとの整理など、解決すべき論点は多い。先日読図講習で参加者11人に聞いたら、知っている人は0人だった。類似の報告はほかでも聞く。登山者への周知も課題だが、活用しようというモティベーション向上も鍵である。

 

 課題は多いが、安全システムの中核になりえる資質を持ったグレーディングだからこそ、建設的な論点が多く出てくるのだ。そう考えると、指導委員会で話題提供した後、登山を支える指導員たちと議論できるのが楽しみに思える。

NPO法人Map, Navigation and Orienteering Promotion

 オリエンテーリング世界選手権の日本代表経験者、アウトドア関係者らが、アウトドア活動に欠かせない地図・ナヴィゲーション技術の普及、アウトドアの安全のために設立したNPO法人です。

活動をサポートして下さる方を募集しています

2015年3月のシンポジウムのプログラムと村越の発表資料を掲載しております。

初心者に最適なコンパス、マイクロレーサー