コラム バックナンバー 1-20

2006年

4月

01日

コラム20 地図を見る様々な視点

3月半ばの週には、プロジェクトマネージメント学会で講演を依頼されたり、恩師の定年退官お祝いなど、あちこちにでかけ、様々な人と情報交換する機会を得た。自分自身、地図やナヴィゲーションについてはいろいろな視点で見ているつもりでいたが、人とおしゃべりをしていると、地図に対するもっと多様な視点があることに、あらためて気づかされる。

 

学会の後にデートした20年来の知人は、地図とナヴィゲーションに関するNPOを立ち上げたのだと言うと、「それは絶対発展するわよ。環境教育だって情緒的な面が先行しているけれど、それを客観的に進めるには絶対地図表現って必要でしょ」という。彼女は最近、絵を習っているということで、しきりに地図が描けることと絵が描けることの異同を気にしていた。僕らは与えられた山の姿を等高線で正確に描くことができる。画家はやはり正確にだが、異なったやり方で山の姿を描くことができる。両者は山容を正しく把握しているという意味では同等で、表現方法が異なるだけなのだろうか。だとすれば、両者はある抽象的なレベルで共通の表象を持っていると言えるのだろうか。

 

有用性という視点では、Mnopの会員でもある山本さんの提案も参考になった。「レストランのガイドマップってあるじゃないですか。でも中にはいい加減なものも多い。いい加減な地図でうまくいけなかったら、それだけでその店が嫌になっちゃうこともありますよね、特に女の子とデートの時なんか。ウェッブにでているガイドマップを評価してあげて、『こんなわかりやすい地図ができますよ』なんていうの、ビジネスになりませんか。」ガイドマップのいい加減さは、前にコラムで紹介したこともあるが、確かにそれでお客を逃しているレストランは決して少なくないだろう。なるほど、こんなところにもビジネスチャンスがあったのだ。

 

チャンスと言えば、恩師の退官お祝いで会った先輩も、「JR東日本は、大規模な駅を抱えているので、そこでいかにわかりやすい構内情報を提供するかに興味を持っているし、そういう視点の研究助成もしているみたいですよ。」と教えてくれた。地図と社会の接点について、まだまだ学ぶべき点が多いのだと知らされた一週間だった。

2006年

3月

01日

コラム19 ナヴィゲーションで「失敗学」しよう

最近の朝日新聞に「失敗学」の提唱で有名な畑村洋太郎氏が、「囲碁で失敗学をしよう」という提案をしていた。囲碁は言うまでもなく対戦ゲームであり、自分がどんなに力を尽くしても相手が強ければ負ける。またプロの棋士ですら、時々ポカをして負けることもある。いわば失敗の宝庫だというのだ。その失敗の原因を突き止める、そのために省察する、また失敗することで謙虚に自分の行為を考えることができるとも言う。

 

失敗が頻繁におき、その省察が次の飛躍へのステップとして不可欠であるという点で、オリエンテーリングやナヴィゲーションも囲碁に劣らないよい題材だろう。特に自然の中のナヴィゲーションでは、いかに地図という詳細な情報が与えられていても、その地図上で思い浮かべた通りにはことは進まない。地図に載っているのかいないのか判然としないけもの道がある。時には地図が古くなって変わっている。地図から思い浮かべたイメージ通りに現実が展開しないこともある。

 

そもそも地図を使い慣れない人にとっては、地図を使って自分の行動を思い浮かべることすら難しい。そんな状況の中で、失敗のないナヴィゲーションというのは、エキスパートですら皆無に近い。むしろエキスパートは、自分の失敗のくせを知り、それを未然に防いだり、あるいは発生した失敗を最小限に抑える危機管理ができるスキルを持っているのだし、そのための省察を繰り返してきた存在である。

 

そう考えると、曖昧模糊とした自然の中で行なわれるナヴィゲーションこそ、失敗学の題材にふさわしい。失敗体験を親や教師から奪われつつある現代の子どもたちにとっても、よい失敗経験の場となるのではないだろうか。

2006年

2月

01日

コラム18 被験者になる

普段研究者として、他の人に被験者になっていただく立場にある自分が、被験者を経験した。それも、自分が専門とする読図の分野である。2回前のコラムで紹介した。関西大学の青山先生の実験の被験者となったのだ。読図講習会を主宰する身だが、果たして自分の読図力が、初見の場所にどの程度通用するのだろうか。そんな興味もあっての被験者応募であった。

 

福知山線のある駅をスタートとする里山の複雑な地形が舞台である。青山先生の後を歩きながら、ところどころ止まった場所で、現在地がどこであるかを1:25000地形図の上に記すのが前半の実験である。最初のうちは、課題の要求がどの程度のレベルか分からないし、普段オリエンテーリングをするときと違って、青山先生が「ここです」というまで地図を見てはいけないので、普段は経験しないほどの記憶負荷がかかった。自負もあるので、目茶苦茶緊張もした。二人してだまりこくって歩くのも気詰まりだから、会話をしながら歩くのだが、これがまた認知的負荷になる。女性は「方向音痴」を自称する人が多いが、会話による負荷もその一因なのではないだろうか。

 

興味深かったのは、「コンパスは見てもいいんですか?」という問いに「ええ。ここでは許しても許さなくても差がないという結果が出ていますから」という答えだった。視界のよくない、尾根・谷の方向がしばしば変わる低山では、コンパスは現在地を絞り込む非常に重要な道具だ。その道具を使う/使わないで成績が変わらないなんて、本来ありえない。たぶん、ほとんどの人が「コンパスは可能性絞り込みの道具」ということを分かっていないのだろう。

 

後半になると、山塊全体の配置もなんとなく頭に入り、また地形のくせも分かるようになったので、楽に歩けるようになった。まだ正式な結果は教えてもらっていないが、まあ恥ずかしくない結果は出せたようだ。

2006年

1月

01日

コラム17 定位を失う

12月の半ばに、倒れて救急車で病院に運ばれる経験をした。それは全日本リレー選手権の翌日だったが、特に疲れていると感じた訳ではなかった。むしろ朝の目覚めも爽快で、待ち合わせのある正午までは、カフェで気持ちよく原稿執筆をしていたくらいだった。

 

不調は、豊橋駅から飯田線に乗るときから始まった。電車が豊橋駅を出て3分くらいした時から、突然のように、自分がどこにいるか分からない不安に襲われたのだ。飯田線は頻繁に乗っている訳ではないから、周囲の景色に見覚えがないのは当然だ。見覚えのない場所を通過することは何度も経験しているのだから、これまでどうして、「自分のいる場所が分からない」という不安に苛まれることがなかったのだろう?

 

おそらく、いつもの自分ならそんな状態でも移動ベクトルを計算して、自分のだいたいの位置を割り出していたのだろう(これを航海用語ではdead reckoning、空間認知の世界ではpath integrationと呼ぶ)。空間認知の研究によれば、その作業は、無意識のうちに海馬(かいば)によってなされているようだ。最近軽度の「うつ」が疑われる僕の海馬は、おそらくそのような無意識の計算を怠っていたのだろう。それが、見覚えのない風景と相俟って、「ここはどこ?」状態を生み出したのだろう。

 

そういえば、ここ2年くらい頭の調子が芳しくなかったが、地図調査中に自分のいる場所が感覚的に分からず、論理的に「自分はこれこれこういう理由でここにいるはず」と納得させていたことが何度かあった。これらもおそらくは、海馬の機能が低下していたことによるのだろう。飯田線の時も、わき出る不安を抑えるために、「自分は豊橋から東海道線じゃないJR線にのった。東海道線は今南の方に見えている。だから、今乗っているのは北西に向かう飯田線だ」と必死で納得させようとした記憶がある。期せずして、道迷いがもたらす本質的な不安を体験できた。

2005年

12月

15日

コラム16 地図という比喩

MNOPに地図解説の本紹介を書くにあたって、アマゾン.コムで「地図」というキーワードで検索した。案の定6520件という大量のヒットがあったが、売れ行き順でトップだったのは、「心に『人生の地図』を持つ」という副題を持つ本だった。上位の「地図」は似たような本が多く、実際に地図を扱った本は、ようやく8位に「カシミール3D入門―山と風景を楽しむ地図ナビゲータ」、9位に「震災時帰宅支援マップ 首都圏版 総図」となっている。同じようにナビゲーションで検索すると、やはり上位は実際のナヴィゲーションではなく、「バイオハザード4 クリアナビゲーションブック」というゲームの攻略本、2位は「「魂の目的」ソウルナビゲーション―あなたは何をするために生まれてきたのか」であった。「指南書」といった文脈でナヴィゲーションという言葉が使われることは多いようである。

 

本のタイトルに限らず、「地図」とか「ナヴィゲーション」は、目標に向かう人間の行動やそのための情報源に対する比ゆ的表現として使われることが多い。認知心理学の研究でも、問題を解く過程の全体像を「問題解決空間」といったり、あるものや場所に対する知識の全体像を「認知地図」と読んだりする。目標達成と目的地への動は、ある意味に多様な知的活動なのだろう。

 

そういえば紅白でTokioが歌っていた「明日を目指して」でも、冒頭に「地図を手に♪」というフレーズが出てくる。進研ゼミのキャンペーンソングと聞いて納得したが、いい歌だ。オリエンテーリングのテーマソングにしたいくらいである。

 

さすがに「読図」というキーワードだと「山岳地形と読図 ヤマケイ・テクニカルブック 登山技術全書」(平塚昌人著、山と渓谷社刊)が最上位でヒットする。ややマニアックな印象と内容であるが、これも読図とナヴィゲーション技術を身につけたい人にはよい本である。

2005年

12月

01日

コラム15 センター試験

先週末、全国の大学でセンター入試があった。6教科28科目で行われたこのテストの初日の2コマ目に行われたのが「地歴」で、その中に地理Aと地理Bという二つの選択科目がある。毎年読図に関する問題が出されるのが通例であり、試験監督の暇つぶしとして楽しみにしている。

 

今年は地理AB、いずれにも地形図を使った読図問題が出された。地理Aの問題は京都市街地周辺部の新旧の地形図を比較して、土地利用の変化や分布図との関係を答える問題、地理Bは函館の地形図に対して正しい断面図や土地利用の特徴を答える問題である。

 

地理Aの土地利用の変化についての問題は、比較的直接的なつまらない問題だが、分布図の問題は、示された3つの分布図がそれぞれ、「大学生・大学院生」「6階建て以上の共同住宅に住む世帯数」「製造業事業所従事者」のどれに相当するかを問うものであった。地図に明示的に示される土地利用からその土地の様子をイメージすることを要求するこの問題は、いわば地図の行間を読み、それとある属性の分布との関係を考えるという、地理的考え方を問う問題といえる。それに対して地理Bの函館の問題は、全体的に明示的表現からほぼ判断がつく問いで、今一つ面白みに欠けた。

 

いずれの問題においても不満なのは、せっかく地形図を取り上げながら断面図から高低を判断するという以外に等高線を読む問いがなかった点である。地図は言語、数字と並ぶ代表的な記号体系であり、その中でも等高線はもっとも独創的かつ巧妙な記号である。確かに高校生から見れば等高線は「訳も分からず難しいもの」なのだろうが、それにしても残念な気がした。

 

そう思っていたら、今日の「理科総合B」に地形図が出て、2地点間の高度差を求める問題が出題されていた。その次の問も、やや地形や方向についてのセンスを問われる問題で、むしろ地理的といってもいいような問題だった。「あ、この山は火山だな」なんて、「地図の行間」を読んでしまったが、出題には全く関係なかった。

2005年

11月

15日

コラム14 GPSは役立つか

コンパスの解説書を叩いたついでに、アウトドア用GPSも叩いておこう。30年のタイムラグ、アナログ用具とデジタル機器の違いを超え、現在のアウトドア用GPS装置のマニュアルは、往時(そして今もか)のコンパスの説明書が犯した誤りを犯している。

 

「これをつけていれば道に迷わないんだ。」腕時計型GPS受信機であるスントのX9のビデオマニュアルで、登場人物がこのように言う。言葉のあやといえばそれまでである。だが、GPSの仕組みを知らない人がこの言葉を聴けば、GPS受信機さえ持っていれば、山で迷わず行動できると考えてしまうだろう。

 

だが、カーナヴィゲーションと違い、アウトドア用GPSにはそこまでの機能はない。カーナヴィゲーションにそれが可能なのは、詳細な地図とルート検索機能、ルート誘導機能が組み込まれているからである。一方、アウトドア用のGPSでは、現在地を地図上にプロットした後は、ルートを判断したり正しくルートをたどっているかは、人間が判断しなければならない。確かにトラックバックやウェイポイントに向かうナヴィゲーション機能はある。しかしトラックバックは、実際に歩いたルートを戻る場合に限って有効であるし、ウェイポイントへのナヴィゲーションも、ウェイポイントに向けての直進方向と距離を指示するだけで、そこに至る道を示してくれているわけではない。コンパスに直進機能があっても、直進方向に進めなければ意味がないように、GPSがいくら目的地の方向と距離を示してくれても、その方向に進めないのでは意味がない。

 

X9のビデオマニュアルでは、道の分岐で目的地に向かう道を選択する場合、GPSによって示される目的地の方向を頼りにする記述が見られるが、これも迂回的なルートの場合には誤った道を選択する可能性があり、ナヴィゲーション方法としてはかなり信頼性が低い。

 

今回のコラムでは、手元にあったX9のマニュアルの記述を取り上げたが、他のハンディーGPSも似たりよったりである。自由に通行できる荒野ならいざ知らず、日本の山野では、直進によって目的地の方向を示すウェイポイントナヴィゲーションは、限られた有効性しか持たないのだが、その点を明確に示したGPSマニュアルはほとんどない。

 

誤解ないように付け加えれば、私はだからGPSは有用ではないというつもりはない。むしろ限られた用途であっても、GPSにしか達成できない優れた機能があると思っている。それだけに、適切な使用法を提示しないがために、その真価が発揮されないこと、それによってアウトドアの真の安全が確保されない現状は、早急に改善されなければならないと考えている。

 

2005年

11月

01日

コラム13 コンパスの使用説明書

アウトドア用コンパスの代名詞であるシルバコンパスには32pにわたる解説書がついている。様々な注意事項も含めて、コンパスの使い方を場面に応じて詳しく説明している点は、評価に値する。しかし、その内容には問題が多い。読図講習会をしていると、参加者から「コンパスの説明で、目的地に連れて行ってくれる(導いてくれるという意味か?)機能があるが、どう使えばいいのか?」という質問を受ける。あるいは「コンパスの使い方が難しくてよくわからない」と言われる。どちらも詳しすぎる、そして優先度を考慮しない不適切な説明順序による誤解である。

 

シルバの説明書では、使う上での留意事項の後、使い方についての最初の説明で、目標物への角度を測る方法が出ている。次に出ているのが、進みたい方向に角度をセットして進む方法(いわゆる直進)である。いずれも、アウトドアでコンパスを使う大多数の人にとっては無縁、あるいは不要な使い方だ。

 

さらにその後、駅前の案内図を使って目的地を目指す方法や、左右にうねっている山道を歩くための方法が出ている。いずれも、実際にはまっすぐ進めない環境下である。一応駅前の案内図の場面では、「まっすぐ進めるとは限らない」旨の注意書きが書かれている。だとすれば、最初からコンパスセットは無意味なことになる。

 

ナヴィゲーションに習熟した人なら、コンパスのセットと地図読みを組み合わせて目標地点を目指すこともできるだろう。だが、初めてコンパスを手にし、この解説書を読んだ人であれば、「コンパスさえあれば、目標地点に着ける」と誤解してしまうのではないだろうか。先ほどの質問も、そのような人が決して例外的ではないことを示している。

 

もともとシルバコンパスは、急な傾斜地も少なく、森の中を自由に直進できる北欧で、そのために開発された。コンパスの解説書に載っている方法もそれをベースにしたものだ。しかし日本の自然環境は違う。やぶもあれば、急斜面もあり、まっすぐは進めない場所が多いのだ。そのような環境で、直進さえできれば目的地に到達できるような錯覚を与える記述は問題であろう。そのために、コンパスが本来もっとも役立つ方法と場面について、利用者が十分に意識できないため、「プレートコンパスは難しい」と思い、コンパスの利用度が下がることはもっと問題である。

 

解説書が改版される時には、ぜひ内容を改めてもらいたいものだ。

2005年

10月

15日

コラム12 読図講習会をおこなって

地図と風景から等高線の読み取りと対応を机上練習
地図と風景から等高線の読み取りと対応を机上練習

静岡のあるアウトドアショップと共催で、読図・ナヴィゲーション講習会を開催した。私の勤務する大学の山岳部の学生も含めて20人を越える盛況であった。

 

講習会参加者のキャリアは様々である。ほとんど経験のない初心者も少なくない。その多くは、「尾根って?谷って?」地形の基本的な単位さえ識別がおぼつかない。彼らの多くは山岳会やクラブに属しているわけではないので、必要性は感じていても、読図スキルを習得する機会がないのだろう。確かに、有名な山ではルートも道標もしっかりしている。読図スキルがなくても、迷うことは少ない。だが、低山・里山に出かけると、地図にはない道も多く、読図スキルが必要になる。そこで、講習会に参加した、と言う人もいた。

 

地図の整置によって目標地点の方向を確認する参加者
地図の整置によって目標地点の方向を確認する参加者

講習会では、簡単に山岳遭難とそこに占める道迷いの状況を解説した後、読図の基本について解説する。読図スキルを身に着けるためには、実体験が欠かせない。だがそれと同時に、何を読み取るか、それをどう使うかを明確にしておかないと、せっかくの実体験も生きない。私の講習会では、たいていの場合、机上と屋外を組み合わせて実施するが、その両方を組み合わせる講習は、評価が高い。

尾根の配置を地図から読み取り示されたパターンの場所を見つける練習
尾根の配置を地図から読み取り示されたパターンの場所を見つける練習

机上講習では、風景写真と地図を見せながら、「どこから撮った写真でしょう?」という問題を数多くやる。ナヴィゲーションの中で現在地の把握は基本中の基本である。読図もそのために必要なのだ。「どこから撮った写真でしょう」問題をやると、ただ地図記号が分かるだけではだめで、風景から特徴を読み取ったり、風景と地図を交互に比べながら、さらに情報を読み取ったり、論理的に考えるという、ナヴィゲーションに必要なメンタル・スキルが意識できる。参加者の反応からは「難しい」と感じられていることは間違いないが、「現在地を把握する」という明確な目的があるので、しっかり取り組んでくれる。正解が出なくても、その難しさを実感してもらうことが重要なのだ。野山の中で道に迷ったときは、もっと難しい状況なのだから。

実際に山の中を歩きながらの現在地把握も、やはり難しい。尾根・谷を勘違いしたり、だいたいの場所は示せても、「ここ!」とピンポイントで示せない。それに対して、「ピンポイントで示せなければ、ルート維持にも影響する。針でつつくように、示して!」と促す。その際、等高線のちょっとした曲がり、植生情報などが利用できることも、参加者にとっては新鮮なようだ。

遠くに見える目標物を使って、現在地を知る方法(パイロッティング)の練習
遠くに見える目標物を使って、現在地を知る方法(パイロッティング)の練習

アウトドアの安全はもちろんだが、私自身はそれ以上に地図を読み込み、地形が分かることが楽しい。読図講習会を通して、山歩きのもう一つの楽しさを広げていきたい。

地図と周囲をよく読みとり、現在地を確認する、現在地の確認はナヴィゲーションの基本であり、徹底的に練習した。
地図と周囲をよく読みとり、現在地を確認する、現在地の確認はナヴィゲーションの基本であり、徹底的に練習した。

2005年

10月

01日

コラム11 読み書きそろばん、ナヴィゲーション

公立学校で中高一貫教育を試行する学校が各都道府県に作られはじめている。こうした学校の適性検査(入学試験と呼ばずにたいていこう呼ばれる)では、いわゆる入試問題とは違う、「考えさせる問題」を出題することが多い。今年ある県で出題された適正検査に地図を使った問題が出題された。

 

問1では、山の等高線と二つの登山道が示され、あなたならどちらの登山道から登るか、またその理由を問う問題であった。いずれの登山道も同じ標高から始まっているが、一方は短いが急峻、他方は長いがなだらかなものである。この問はどちらを選んでも、理由があっていれば正解にされるものと思われる。

 

問2では、大規模商業施設を立地させる場所として適切な場所を3つの選択肢から選び理由を述べさせる、問3は観光の街として発展させるための方策について考えさせている。

 

いずれも地図という「ごちゃごちゃした」媒体から、解答に必要な情報を選び出すところから、問題解決が始まる。現実に根ざした推論も要求される。地図が思考のためのよいツールだということに、改めて気づかせてくれる興味深い試験問題であった。

 

2005年

9月

15日

コラム10 ブラックアウト

霧や吹雪の中では、視界全面が白くなる。これがホワイトアウトと呼ばれる現象である。ホワイトアウトになると、針路の維持もままならなくなり、ナヴィゲーションが極端に難しくなる。ナヴィゲーターにとって究極のナヴィゲーション課題である。

 

道のない山岳での夜間のナヴィゲーションも、ホワイトアウトに似た状況である。日常の登山では滅多にない状況だが、アドベンチャーレースの中には、ナイトのステージが用意されているものがある。とりわけ安曇野アドベンチャーレースは、チャレンジングなナイトステージが提供されることで有名である。

 

もちろん、ヘッドランプやハンディーライトは持っている。しかし、それによって得られる視界は高々10-20m程度だ。しかも、あたりは一面の笹薮で、まっすぐ進むことすらままならない。こんな状況だからこそ、普段のナヴィゲーションで自分が何気なく使っている情報に、改めて気づくことができる。

 

たとえば、くだりの区間は地図で見るとほとんど一直線に降りてくる尾根だ。だが、尾根だと分かるのは地図で広い範囲を見ることができればこそである。暗闇の中ではたとえヘッドランプで照らしたとしても、自分が本当に周囲でいちばん高いところにいるのか、そのラインを維持しているのかを確認することさえ容易ではない。その不安を意識することで初めて、昼間のナヴィゲーションでは無意識のうちに、自分が周囲でいちばん高いところにいること、そのラインに沿って移動していることを確認していることに気づくことができる。

 

ナイトナヴィゲーションは、道具の有用性にも気づかせてくれる。尾根のラインを見てとることができない代わりにシルバコンパスを使う。昨年のレースでは、地図に磁北線をひかず、プレートコンパスも持たずに尾根を下ったため、しばしば尾根ラインをはずし、復帰に時間をとられた。オリエンテーリング歴30年にして、初めてシルバコンパスの有用性を実感した。

 

地形によって現在地を確定することができないので、その代わりに高度計で現在地を特定する。昨年は誤差のあるまま「なんとなく」使っていたので、地図にないピークに惑わされて、針路決定にも支障をきたした。高度計を正確に調整していれば、ピークが地図に描かれていなくても、「このふくらみの中にピークが隠されている」と分かっただろう。今年は、気圧の変化による誤差をこまめに調整したおかげで、尾根が方向変化する点もピンポイントでつかむことができた。

 

安曇野アドベンチャーレースが提供する究極のナヴィゲーション体験は、さまざまな気づきを与えてくれた。

 

2005年

9月

01日

コラム9 方向音痴の人と街を歩く

方向音痴番組の出演以来縁で、「全日本方向音痴ーず」の人と10月30日に、新宿駅南口から赤坂のアークヒルズまで歩いた。地震で公共交通が不通になったとき、都心から遠く離れた居住地まで帰れるかは、首都圏に働く人々の大きな問題だが、その問題は方向音痴の人たちにとってはさらに大きい。日常空間でさえ数々の「武勇伝」に事欠かない彼らだ。まして公共交通が使えないとき、初めての道を帰宅支援マップだけで歩けるのだろうか。それをテーマにした防災ウォークという位置づけで、上記の行程を歩くことになったのだ。

 

結果として大きく迷うことはなかったのだが、一緒に歩いてみると、「方向音痴」の人がどうして地図がうまく使えないかを知るさまざまな手がかりが得られる。

 

1)プランは問題ない。

 方向音痴の人は「地図を読むのが苦手だ」という。しかし、出発前の彼らの会話や途中でのルートの決め方を見ると、決して「地図が読めない」わけではない。地図上でルートを読み取ることに関しては、別段問題があるようには思えない。確かに、「方向音痴だ」という自己概念からか、過度に難しい場所を避け、その分無駄な遠回りをすることもある。また、時にはそれによってより複雑なルートを結果として選択してしまうことがある。しかしそれ以上の問題は、プランの段階からは見当たらない。

 

2)アナログ/詳細情報がうまく利用できていない

 外苑西通りを青山墓地に沿って歩き、六本木で左折することになっていたが、その手前に鋭角に左後方から道が合流する場所がある。「ここはやってくれるかな?」と思ったら、案の定、こちらのほうに左折してしまった。たぶん「曲がりを左」と、単純化して覚えていたのだろう。これは心理学では「図式化による誤り」として、広く一般にも観察される現象である。

 

3)文脈の無視

 方向感覚のよい人は、その場の風景で判断できなくても、「だいたいこちらに進めば、**通りにぶつかるはず」といった、全体配置を考慮に入れた方略を採用することがある。これは必ずしも、表立った行動ではないので、今回のウォークの中でなかったとは言えないが、観察できる限りでは、このような方略的でその場の問題解決をしようという試みはほとんど見られなかった。

 

地図でわかりにくい場所、道路が建設されるなどで地図とは変わってしまうような場所でも、その場で地図を読んでいるだけではナヴィゲーションの問題は解決できないので、方略的な考えが必要とされる。

 それからこれは直感的な解釈なのだが、どうやら問題が発生したときにも、それまでの文脈をリセットして、その場だけで問題を解決しようとする。結果として迷いそうになるという行動も見られた。簡単に言えば、「あれ?おかしい迷っちゃたの?」という時にも、「さっき、**を通った」とか「まだ**を通っていない」と考えれば、居場所を特定できることがあるが、それができていないということだ。

 

 全体として言えるのは、方向音痴の人だからといって特殊なことは何もないということだ。彼らが起こす問題は、頻度の差こそあれ、方向音痴ではない人にも、少なからず発生する。たぶんその確率がやや違うだけなのだろう。

 時々とてつもない道迷いを繰り広げる彼らに特殊性があるとすれば、おそらく迷ったときの対処法が不十分なことだ。上にも述べたように、問題があるとすぐ文脈をリセットしてしまう。これは部分的には、「自分は迷いやすい」というナヴィゲーションへの苦手意識が影響しているように思う。方向音痴という自己概念が、自己成就的に行動に影響しているのだろう。

 

2005年

8月

15日

コラム8 ナヴィゲーションの生態学

少し前に出た文献だが、「ナヴィゲーションの生態学」という論文を読んでいる。生態学(あるいは生態学的妥当性)という言葉の詳細はここでは紹介する必要がないと思うが、簡単に言えば賢い振る舞いを考えるときに、それが行われる環境要因を考慮する必要があるという考え方である。これは実はナヴィゲーション(これ自体も賢い振る舞いのひとつだ)を実践的に考える上でも重要な示唆をもたらす。

 

英語圏のものも含めて、読図やナヴィゲーションの解説書を見ると、ナヴィゲーションの方法に地域やその特徴を明示的に踏まえているものはない。だが、生態学的心理学の発想に従えば、環境の特徴を抜きにナヴィゲーションの実践が適切かどうかを語ることはできない。やや込み入った話になったので、簡単な例を出そう。

 

アウトドア活動を行う人なら、誰でもシルバコンパスのことを知っているだろう。またシルバコンパスを使ってまっすぐ進む方法を、付属の解説書を見ながら試してみた人もいるだろう。だが、私はこの方法は講習会でも勧めず、取り上げないことも多い。なぜか。この方法とシルバコンパスという道具が、山の中を自由に移動でき、また針路をさえぎる大きな尾根・谷もほとんどない北欧で開発されたものであり、日本では目的地に到達するためにまっすぐ進むことが有効でない。造山帯にあり、侵食により尾根・谷がはっきりした日本の地形、さらにモンスーン地域にあり多雨のため植生が非常によく繁殖する日本では、直進という方法はまったく役に立たないことが多いのだ。

 

シルバコンパスという道具は、古期造山帯で温暖な割には植生も貧弱なスカンジナビアの環境にこそもっとも威力を発揮する、ある意味エスニックな道具なのだ。もちろんその道具の有効性は日本でもあるものの、それはシルバの一番の特徴であるプレート以外の部分による。そういう解説を数十年もそのままにしてコンパスを流通させるメーカーもメーカーだと思う。

 

同じようなことはGPSにも言える。現在地のウェイポイントを登録し、それを利用したナヴィゲーションが機器付属の解説書に載せられていることがあるが、GPSがウェイポイントナヴィゲーションで提示できるのは、目的地となったウェイポイントがどちらの方向にどれくらいの距離にあるかだけである。コンパス直進と同じような理由で、これは多くの日本の山野で有効ではない。

 

逆のことも言える。私が拙著「最新読図術」で提唱した、傾斜の変換を読み取り位置を確定する、尾根を同定するという方法も、侵食によって尾根が特徴的な形を持ちやすい日本(を含む地形のはっきりした国)だからこその方法だろう。

 この場所で有効なナヴィゲーション方法はなんだろう?それを支える環境の特徴は何だろう?それを意識化することが、ナヴィゲーションのスキルを高めることにもつながる。

 

文献:Dyer, F. C. (1998). Cognitive ecology of navigation. In Dukas (Ed.)

Cognitive ecology: The evloutionary ecology of information processing and

decision making. pp. 201-260. The University of Chicago Press.

 

2005年

8月

01日

コラム7 究極のアウトドアマップ

富士山アウトドアマップの製作を始めた。8年ほど前から持っていた構想の一つだ。当時、静岡県で開かれた自然公園大会のワーキンググループで、参加者へのお土産について、県庁の担当者から意見を求められた。その時提案したのが、富士山アウトドアマップだった。当時は昭文社、ニッチ、山と渓谷社の3社から富士山周辺の登山地図が出ていた(現在は昭文社だけ)。しかし、いずれも登山に特化した地図で、登山道は描いてあるが、それ以上のアウトドア資源情報は皆無に近かった。その物足りなさは、自分自身が富士山麓で活動する中で感じていた。

 

ノルウェーには、ハイキングルートだけでなく、アウトドア資源が掲載された優れたアウトドアマップがある。登るだけでない富士山周辺の魅力は、オリエンテーリングをしているとわかる。富士山麓にあるさまざまなアウトドア資源をもれなく記載し、なおかつその地図だけでそれぞれの場所に到達する、文字通りの地図と言える地図が作れないだろうか?そうすれば、活動者が、よりよく地域を使い込むことができる。それがアウトドアマップのそもそもの出発点であった。そのアイデアは、無償で参加者に配布されるガイドブックとして結実した。しかし、限られた時間と予算の中で、内容的には不満足なものに終わっていた。いつか作ってやろう、と思い続けてきたものだ。

 

1:25,000地形図にして12枚にわたる、約500平方キロに及ぶ地図。数字を見ると広いとも言えるし、これまで南麓に作られたオリエンテーリング用地図が覆っている範囲を考えると、たいした広さではないとも言える。 「マップル」や「リンクリンク」の登場で、市街地や郊外での地図はかなり成熟した。一方、アウトドアではまだ未成熟な状態である。そんな地図の状況とアウトドア界に一石を投じることができたら、と思う。

 

2005年

7月

15日

コラム6 地図への関心

CSの教育番組を作っている文化工房のディレクターの人と会った。科学技術関係の財団の仕事で、地図をテーマにした教育番組を作っているのだという。放送は再来年だが、今年のうちには画を撮り出す予定だという。いまどきのテレビ番組にしては稀有のことだが、視聴率が問題にならないCSだからできる、じっくりした番組づくりなのだろう。

 

12回全体が地図をさまざまな側面から捉えるという点も興味深いが、1回をオリエンテーリング・ナヴィゲーションに当てるという発想には、さらに興味をひかれた。確かに、他の回は地図がどう作られているかといった作成サイドの話だ。その地図がどう使われているのか、一般ユーザーが利用に際してどんな問題を抱えているのかといった、行動科学的な視点はこの回だけだ。

 

それをオリエンテーリングだけにとどめるのは勿体ない。オリエンテーリングはあくまでも導入。そこから熟練者と中級者の読図スキルの違いに話を進め、さらに地図を読むという行為の背後にある認知的スキルがどのようなものかに、話を進めたらいいのではないかとアドバイスした。

 

多くの人は、地図が読めるとは、地図の上に描かれている情報を読み取れることと考えているが、実際に熟練者のナヴィゲーションを研究すると、描かれている以上の情報、論理的操作をして、地図を有効に使いこなしている。またそのアルゴリズムは、カーナヴィゲーションや巡航ミサイルといった高度な機械システムにも利用されている。かたや、その発想は野生に生きる民族にも共有されている。地図を使うスキルの、そういう広がりを感じられる番組にしたい。

 

2005年

7月

01日

コラム5 あきれたガイドマップ

赤で描かれた右側の丸の位置は、本当は黄色で描かれた場所でなければならない
赤で描かれた右側の丸の位置は、本当は黄色で描かれた場所でなければならない

夏休みの最後の週に、大学の体育の実習で清水市にある海洋センターに出向いた。そこには清水市の観光スポットのガイドマップが2種類ほど置いてあった。それなりにお金をかけて作られたと思われる4つ折のデザインで、無料のガイドマップにもある程度はお金をかけるようになったことは評価できる。しかし、眺めてみて唖然とした。表紙には清水の海岸地区の概念図が描かれており、折り込まれた面に2地区の詳細図が描かれている。概念図に詳細図の位置が赤い囲みで示されているのだが、それが全く違う場所なのだ。詳細図で描かれた部分は、静岡市との境にある日本平の海側、久能の海岸(いちご狩で有名)なのだが、囲みが描かれているのは、折戸湾(三保半島の内海)に沿った場所なのだ。

 

完全に間違ったケースは少ないものの、静岡で発行される飲食店のガイドブックには地図がデフォルメされすぎて、正確に店の場所が分からないものが散見される。だいぶ前の研究になるが、空間認知研究者の加藤義信さんの研究室の卒論で、ガイドマップで店に到達できるかを調べたものがある。それによると、山本千華さんの卒論では、名古屋市街地及びその近郊についての4つの情報誌の18店舗に対して、複数の情報誌を利用してその店を探索したところ、18店舗中迷わずいけたのは4店舗のみで、1/6にあたる3店舗がだいぶ迷ったり、いけなかったりしている。同じような傾向は、やはり加藤さんのところの卒論生の近藤万友美さんの調査でも得られている。

 

地図のデザインはかなりよくなった。内容の取捨選択、正確さという点では、まだ改善の余地がありそうだ。

 

2005年

6月

15日

コラム4 地図のアイデア商品

大都市で震災にあったら・・・。運よく火災や建物の崩壊から逃れたとしても、自宅に帰るという試練が待っている。交通機関も止まり、自動車の通行もままならない街路を、なかには30kmを超える距離を、自力で帰らなければならない人も出るだろう。その時、果たして歩きとおせるのだろうか。迷わず帰りつけるのだろうか。

 

そんな不安を背景に、最近震災時の帰宅支援のための地図が相次いで刊行され、ちょっとしたベストセラーになっている。昭文社が出した「震災時帰宅支援地図」を手にとってみると、東京から放射線状に郊外に向かっている主要道路に絞って、距離や踏破の支援となるガソリンスタンドやコンビニが、詳細に掲載されている。地図自体は一般の地図とほどんど変わらず、それに主要道路沿いの上記施設や注意点が記載されているだけなので、出版社側からみれば、低コストで売り上げが見込めるアイデア商品と言える。実際、この地図の製作者が朝日新聞の「ひと」に取り上げられていて、「製作には6人が5日がかり」とあった。北ではなく、進行方向が地図の上を向いているという点では、同社が女性向け地図で成功した「リンクリンク」のサバイバル版とも言える。こんな形であるにせよ、地図とナヴィゲーションへの関心が高まるのは望ましい。

 

上述したように、この地図は、震災情報という点では目新しいものの、その実態はコンビニとガソリンスタンド、危険箇所が盛り込まれているものの、ナヴィゲーションの地図という点では、特別な工夫があるわけではない。主要道路では、おそらく地図なんかなくても、正しい方向に向かって歩き続けられるだろう。しかし、多くの利用者は、主要道路から外れたところに住んでいる。そこまでのナヴィゲーションについては、この地図には特別な情報が記載されているわけではない。研究や実践上、一般の人の地図利用能力の限界を知っている立場としては、そこでこの地図が役立つのかという点は、気になる。地図表現という視点からも、地図利用スキルの向上という点でも、やるべきことはこれからなのだろう。

 

2005年

6月

01日

コラム3 人はアウトドアで正しく地図を使えるか?

山岳での道迷い遭難の多さ、あるいは講習会での経験から、多くのアウトドア活動者が適切に地図を使うスキルを持っていないのではないかと思います。最近Spatial=Cognition and=Computationという空間認知の専門誌に掲載された記事に、それを裏付ける実験結果が載っていました。

 

この実験はアメリカの自然公園で行われたフィールド実験で、36名の被験者を対象に、地図を使って公園のトレイルをたどってもらうという実験でした。実験のもともとの趣旨は、「等高線地図」「レリーフ地図」「概略図」の3種類と「多色刷り」「白黒」の効果をみようというものでした。この実験、結果として上記の地図表現自体の差はでなかったという点で実験心理学的には面白くなかったものの、アウトドアの地図読みに関心を持つものには興味深い結果が、いくつも記述されています。

 

たとえば、実験に使われたルートは10箇所の分岐がありますが、平均正解数は8.25でした。つまり平均して1.75回は曲がり方を間違えている。また9名の被験者が3回以上の間違いを犯しています。なかには6回も間違えた被験者が2名もいました。また、もっとも正解率の低かった4番目の分岐で、「どこにいるか分からない」と答えた被験者は9名、「分岐6だと思った」と答えたのが7名でした。私も、かねてから登山道・ハイキング路には、地図にないわき道が多く、そこではよほど地図を読む能力がないと道を間違えかねないと指摘してきました。実際上記の10の曲がりのうち、地図にないわき道がある分岐は3つで、そこだけ見ると間違いの割合は3割にもなります。比較的わかりやすいと思われる公園内の園路でさえ、これだけの間違いが発生するのですから、一般のハイキング路では、道間違いのリスクはさらに高いでしょう。

 

もうひとつ問題なのは、迷っても意識できていない人、その逆の人がいることです。自分は迷っていないと答えた7人のうち2人が実際には曲がり方を間違え、逆に間違えていないのに間違えたと判断した被験者が3名いました。迷っているのに、それが意識できないのも論外ですが、その逆も、正しい対処法を知らなければ、問題です。正しいのに別の場所にいると思うことで、より困難な状況に陥ることさえあります。

 

余談ですが、この研究では男女差はほとんどの項目に見られていません。一般的には女性は地図が苦手と思われていますが、他の研究結果は一貫していません。女性の方にも是非地図に親しんでほしいものです。

 

本論文の書誌を掲載します。理論的志向の強い研究の多いこの雑誌の中では、泥臭い研究です。その分、当分野に興味がある人なら、一般の人でも興味深く読めるでしょう。

 

Soh, B. K., & Smith-Jachson, T. L. (2004). Influence of map design,=individual differences, and environmental cues on wayfinding performance. =Spatial Cognition and Computation, 4, 137-165.

 

 

2005年

5月

15日

コラム2 ナヴィゲーション用具の利用は難しい

まず、前回のコラムの訂正とお詫びをしなければなりません。前回コラムでは、狂ったコンパスとして「180度反転してしまったコンパス」「3度ほど角度がずれているコンパス」の二つを紹介しました。問題はその写真です。この写真が逆転していたのです(現在は修正されています)。たぶん、多くの皆さんはこのことに気づかれたと思いますが。

 

本会のサイトは、事務を引き受けているIさんが作っています。彼女は世界選手権では4ヶ月にわたり各種事務仕事を引き受けたものの、オリエンテーリング経験も登山経験もなし。地図やナヴィゲーション用具に関してはまったくの素人なのです。その彼女が、「どっちの写真がどちらの例だろう?」と散々考えた結果が、写真の逆転でした。html化を依頼した私は、3度のほうはちょっとみにくいが、180度反転の写真はコンパスが二つ写っており、右のコンパスは赤い針が、左のコンパスはNとSははっきり見えるだろう。そうすればこれが反転したものだと容易に分かるだろう、と考えたのですが、結果はそうはならなかったということです。

 

Iさんは、日常の事務作業ではむしろ超有能な女性です。その彼女が犯したミス。私たちは、ナヴィゲーション指導の時つい「磁石の赤が北。簡単!でしょ!」と指導してしまいますが、ことはそれほど簡単ではないようです。図らずも、ナヴィゲーション用具の使い方の難しさを浮き彫りにしてくれました。

 

 

2005年

5月

01日

コラム1 狂ったコンパス

写真1
写真1

アウトドアで頼りになるはずのコンパスが狂ったら?とんでもない方向に進んで、遭難にも発展しかねない。幸いなことに、コンパスが狂うことは普通ではありえない。青樹ケ原樹海では、コンパスが狂う場所があるといわれているが、実際にはその影響は限られている。地面が磁性を帯びている場所でも、それでナヴィゲーションが根本的に狂うほどの影響を受けることは少ない。

 

ところがごく稀にだが、コンパスが狂うことがある。写真1がその例である。

このように南北が完全に逆転するコンパスが時々できる。アウトドアコンパスの代名詞シルバコンパスの輸入代理店であるノルディックスポーツによれば、毎年数個、このようなコンパスによる「苦情」が持ち込まれるというから、割合にすれば、1万分の1以下の確率であろう。アウトドアに出かけるまえには確認してから出かけたい。

写真2
写真2

完全に反転したものはチェックしやすいが、数度だけ狂うのような場合にはチェックが難しい。旧来のコンパスでは、そのような狂いが生じることはありえなかったが、近年、そんな狂いを持つコンパスが稀に出現するようになった。写真2は、ある講習会で見せてもらったもの。

直進の練習時、この講習生は何度やっても方向がずれるので、おかしいと思いコンパスを見たら、こんなだった。下に移ったコンパスとわずかに(約3度)ずれているのが分かる。

 

これは、近年コンパスの磁石の部分と針の部分を別に作る構造のコンパスが現れたことと無縁ではない。この写真を見ると、かすかにわかるが、磁針(本当は磁ではない)の下に軸のまわりに四角いプレートがある。本当に磁石なのはこの部分だけなのだ。その磁石に、方向を示すためのプラスティックの針を載せている。したがって、針を貼る時に、その方向と磁石の方向がわずかにずれていると、こんなことが起こるのだ。滅多にないことであり、それがナヴィゲーションに致命的影響を及ぼすことはないとは言え、購入時には注意したい。

 

NPO法人Map, Navigation and Orienteering Promotion

 オリエンテーリング世界選手権の日本代表経験者、アウトドア関係者らが、アウトドア活動に欠かせない地図・ナヴィゲーション技術の普及、アウトドアの安全のために設立したNPO法人です。

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