3月27日の埼玉県議会でヘリによる山岳救助の要する手数料を徴収する条例が可決されるという(毎日新聞掲載)。かつて、田中康夫長野県知事が山岳救助ヘリの有料化を提案していたが、「救急車が無料なのと整合性がとれない」といった公平論や「窮地にある人を救うのは当然」といった道義論に有効に回答することができず、実現しなかった。今回の条例では、飛行に必要な燃料費分であるいわば「実費」を徴収する、という形でこうした課題をクリアしたように見える。
新聞記事に取り上げられた意見(もちろん新聞社の選好がかかっているので、社会的な意見分布とは異なるだろう)を見ると、反対意見が目立つ。私は、ヘリ有料化は基本的には賛成の立場で、これは毎日新聞にもとりあげてもらった。新聞記事は3行ほどのコメントであり、十分意を尽くせなかったこともある。そこで、ヘリ有料化に賛成の理由を少し紹介しておきたい。
この条例の制定に賛成な理由は、それが登山者の責任についての格好の問題提起になるからである。山は本来、行政サービスによる安全化が及ばない高い空間である(またそのような空間を残すことには様々な意味がある)。だから、他者によって安全を確保されていない環境に自分の意志で入る人は、基本的にそこでの安全について自分で責任を採らなければならない。そうでなければ、山は安全の確保と引き替えに様々な規制を受ける場となってしまうだろう。
一方で、未組織登山者による登山人口の急増により、こうした点を意識していない登山者が増えてしまった。山岳遭難の漸増傾向には、登山者自身の責任についての理解の欠如が大きいと考えられる。しかし、行政や山岳団体もそれに対して十分な啓発を提供できていない。それどころか、山で窮地に陥れば無制限に行政が助けてくれるかのような状況が作り出されている。
今一度、山とはどのような環境か、そしてそのような環境に自らの意志で立ち入るとき、そこにどのような責任があるのかを登山者が意識しない限り、遭難は減少しない。登山者の意識形成と条例制定は必ずしも直結するものではないが、登山者に意識してもらうための行政が切れる数少ない有効なカードが、ヘリ有料化だと考える。
これを期に、山とはどのような場で、なぜリスクがあるのか。そのリスクに対して誰がどのように責任を分担していくのか、といった根本的な論点整理につながるような議論が広がればと思う。