column102:江戸の近郷

東京で明治期の地図を使ったナヴィゲーションに最近はまっているのは、ここ数回のコラムで紹介した通りである。ヨーロッパに遠征すると、ホテルから走っていけるような都市のすぐ近くに豊かな田園風景や里山が残っていることをうらやましく思ってきたが、江戸期の東京もそれに負けず劣らずの田園都市だった。このことは、江戸期の紀行文や明治初期の国木田独歩の随筆などを読むと伺える。また、明治期の地図を見れば、その景観を生き生きとイメージすることもできる。その地図を持って東京を歩き/走り回ってみると、その感は一層強くなる。


 現代の地図では、市街地の中にわずかに寺社の記号が記載されているだけの場所も、明治初期の地図(つまりは江戸期の景観とほぼ等しい)を見ると、武蔵野台地上の緩やかな谷の中の田畑や雑木林に囲まれた、いかにも寺社が立地していそうな尾根の先端だったりする。寺社だから、さすがに何か残っているだろうと思って行ってみると、遠くからもこんもりとした杜が見える。その場所に着くと、奥山の寺社もかくやと思わせる自然が残っていたりする。こうした場所は川によって浸食された急斜面に沿ってあるので、近代まで開発が難しかったということもあるだろう。何よりも宗教施設として手が付けられにくかったという事情も関係しているのだろう。


 あるいは、現代の1:25000地形図にはその痕跡を示すものは何もないのに、地形を求めて谷戸の奥に降りてみると、そこだけ小さな公園になっていて、かつての湧水を生かしたであろう弁天池が残っている。かつての景観を偲ばせるこうした場所見つけると、山で珍しい動物や植物に出会った時のように嬉しくなる。江戸を偲ばせる場所との出会いは、普段の何気ない散歩でも得られるかもしれない。だが、古地図とナヴィゲーションは点でしかないものを広げる役割を果たしてくれる。古地図は、場の周囲のかつての景観を教えてくれる。また、自らナヴィゲーションすれば、地形の特徴への意識が高まり、今では市街地の中に埋もれて見えにくくなっている地形への感受性を高めてくれる。


 こうして、点でしかない江戸期の景観が想像の中で自分を取り巻く世界へと拡大される。古地図×ナヴィゲーションは、100年の時間をタイムスリップすることを可能にしてくれる。

頼朝が馬を松につないだという駒繋神社(右手斜面上)を取り囲む様に流れる蛇崩川の緑道
頼朝が馬を松につないだという駒繋神社(右手斜面上)を取り囲む様に流れる蛇崩川の緑道

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