2003年に初めて体験活動のリスクについての本を上梓した時、危険について語る言葉が偏っていることが気になった。危険について語る言葉にはスローガン、視点・方略、ノウハウがある。スローガンはどんな場面にも当てはまる抽象的な言葉で、実践を生み出す力は(多くの人に対しては)ない。「遭難に気を付けよう」みたいな言葉だ。
一方ノウハウはある場面では確実に役立つが、それ以上の力を持たない。自然の中では危険が多様なものであることを考えると、いくらノウハウを積み重ねても、必ず新しい事態に出会うので、対応ができなくなってしまう。どちらの言葉も不十分だ。おそらく優れた実践家はそのどちらでもない、こんな方向性で考えたらその場に適した方法をその都度効率的に生み出すことができるだろうというような考え方を持っているのだろう。認知心理学の世界では、これを「実践知」と呼ぶ。2003年に書いた本で、私はこれを「視点・方略」と名付けていた。ノウハウのように具体的でもなく、スローガンのように分かりやすくないので、それらは言葉にしにくい。言葉にして伝えられる理論知と対比して実践知と呼ばれる所以である。
視点・方略という観点から見た時、コロナウイルス対策の3密は的確なリスク対応の言葉だと感じた。実際にはそれに2mとか5分とか、二方向の換気とか、より具体的な条件が付くのだが、3密という言葉から、個々の具体的場面でどう行動すべきかを一人ひとりが判断することができる。逆に「これはやばいだろう」と判断することもできる。このような言葉を使いこなすことが、様々に変化する自然の中でもうまくやっていくことにつながる。それはアウトドアの安全にも寄与する。
もっと具体的に言ってくれ、という批判も出た。何よりリスクは、現場現場で異なる。それに対して良識的に判断できる国民が増えることはリスクを下げつつ、行政への負荷も減らし、結果として社会全体がよりスムースに活動を維持することにつながる。だから、こうした言葉を使いこなす国民が増えることは国としてのレジリエンスを高めるはずだ。そう思うと、「具体的に言ってくれ」という声が上がることが残念に思われる。
実際、日本はスウェーデンと同様、緩~い行動規制を引いた。スウェーデンとは違うタイプかもしれないが、国民の行動への信頼があったのだろうし、それに国民も概ね応えたと思う。法的限界があったからにせよ、それを前提に日本の(クラスターを主軸とした)コロナ対策は立てられている(これはNHKスペシャルで西浦さんや尾身さんも言及していた)。
日本山岳スポーツクライミング協会が他の山岳3団体と出した自粛要請も、この観点からすると残念な内容だった。あれでは、リスクに対する思考が深まらない。何かしなければという気持ちは理解できるにしても、せっかく手に入れたリスクについて考えつつ実践できるツールを生かせるようなメッセージにできなかったものだろうか?