コラム107:登山届の義務化に反対する

 御嶽の噴火に伴う行方不明者の捜索難航の教訓から、登山届けの義務化の動きが報じられている。10月29日の朝日新聞岐阜県版では、県が義務づけのための条例改正案を目指して有識者会議を立ち上げたことを報じ、10月30日には、全国版で岐阜県が義務化を巡って議論していることや長野県でも検討がなされていることを報じた。これによればもともと岐阜県は12月から北アルプスの遭難多発区域での届け出を義務化すべく条例が制定されていたが、御嶽を含めた改正案を12月県議会に提出する予定だという。


 この条例の制定が広がろうとしている今、山岳遭難を研究フィールドとするものとして、今後の条例化に反対の声を上げることにした。理由は大きく分けて二つある(注1)。


 一つは条例の実効が期待しにくいことである。たとえば岐阜県はその目的として「登山者による事前準備の徹底及び山岳遭難の防止を図る」とある。また目的として明示されていないが、その前文を見ると、遭難した登山者の捜索活動に必要な労力を軽減することも目的の一つだと考えられる。しかし、現在の(高山の)遭難の多くは事前の計画とは直接関係のないところで発生している。特に岐阜県がもともと条例の対象としたのは穂高周辺である。残念ながら同所の詳細な遭難記録は入手していないが、類似であると思われる長野県の遭難記録を見ると、滑落転倒が多い。詳細な分析をするだけのデータはないが、直感的にはこれらはその場でのスキルや行動上の問題により発生するものである。もちろんエリアによっては道迷い遭難が多く、その防止のためには事前計画が有効な部分があるかもしれない。しかし、もともと岐阜県が対象としたエリアではほとんど発生していない。


 登山計画書は、道迷い遭難の発見にもおそらく有効だろう。しかし、現行の登山届けのシステムが機能するかどうかは疑問がある。登山道の入り口に登山届け提出ポストがある。中を見ることができる場合がある。あまり古い届け出用紙がないことを見れば一定期間で回収しているのだろう。だが、毎日ということはなさそうだ。なにより下山時の届け出システムや届け出と下山届けをマッチングさせるシステムがない。だとすれば、道迷い遭難が起こった時のダメージコントロールシステムとしては、非常に微力だと容易に推測できる。


 第二の理由は、登山者自身の自立を促すことや、適切な「自助、共助、公助」という防災では常識になりつつある考え方に反しているからである。筆者は、大規模なトレイルランニング大会の運営にも携わっている。そこでは少数ではあるが、要項に示された「自己責任」の考えを理解せず、(参加費を払って参加したイベントではあっても)本来自分が解決しなければならない問題について、安易に「公助」を求める参加者がいることを経験している。問題の枠組みは違うとは言え、自ら選んだ活動においてまずは自分で安全を守ろうとする姿勢が登山者から後退していることはよく指摘される。登山届けの義務化は、それを助長してしまうのではないかという懸念を大きく持つからである。


 義務化され、罰金まで払わされるとなれば、必ず救助活動についての行政の義務を指摘する声は強くなるだろう。提出した登山届けの適切な管理について、個人情報だけでなく、「義務に従って届けを出したのだから、安全を見届けろ」という議論は必ず起こるだろう。これは、自助、共助、公助という考えに逆行している。


 そこで対案を示す。簡単なことである。家族に登山計画書を残せばいいのだ。家族がいなければ信頼できる知人でもよい。結局現在の登山届けのシステムでも、ダメージコントロールの重要な部分は家族等からの警察への届けである。今やファックスでも写メでも、地図も含めた詳細な情報を警察に転送する仕組みはいくらでもある。約束の日時に帰ってこなかったら、家族に行動を起こすように依頼する、そして家族もそう行動する。これによってシンプルかつ大きなコストを掛けず遭難のダメージコントロールができる。相手がよく見えない公共に対してよりも、家族や知人に「・・・までに帰って来なかったら、警察に届けて欲しい」という方が遙かに緊張するだろう。思うに、登山届けというのはこういう画像転送技術が発達していない時、初動には近くに詳細な情報があったほうがいいという考えで生まれたものではないだろうか。


 事情があって家族に登山届けを残せないものもいるかもしれない(彼女との不倫山行とか、いやそうでなくても家族が「心配するから」という理由もあるだろう)、あるいは知人も身よりもない人もいる。確かにそうだ。そんなときこそ、登山団体の出番ではないか。まさに共助である。登山団体がボランタリーに、そういう人たちの届けを預かる活動をしてはどうだろう。現在なら大量の登山届けがだされても、予定日に帰ってこなければ自動的にそれを抽出したり、なんらかのアクションを起こすことは可能だろう。登山団体のよいPRにもなるし、それが遭難の抑止力になれば、進む組織離れへの大きな抑止力にもなるはずだ。実際、日本山岳ガイド協会はこうした仕組みを整えている。


 今回の条例化の動きに関する記事を追ってみると、北アルプスのような遭難多発地帯に業を煮やして、あるいは御嶽での行方不明者の捜索にほとほと困り果てての切実感が過剰に拡散しているように思える。もともとの遭難多発地帯への対応にしても、上に述べたように、実効性には疑問がある。行政として何かせざるを得なかったという点は理解できるが、この動きがむやみに広がることは第二の理由から大きく疑問を感じた。

 山の安全を誰が、どう守るのか。その議論の一助になれば幸いだ。


注1:念のため書き添えると、筆者が反対するのは、現状の制度のもとでの登山届けである。提出や管理の形態によっては登山届けが遭難防止に有効な働きがあることは否定しない。同時に、有効化するためには義務化そのものよりも、システム整備や教育などで多大な努力が必要なことを忘れてはならない。登山届け義務化でできることは、もっとシンプルな方法でできる。


 ちょっと余談:かつての流域下水道に対する宇井純や中西準子の反論を思い出してしまった。登山届けは流域下水道のようなものかもしれない。危機をそれより遙かに多い問題ない状態の中に薄めてしまうことで処理コストがあがってしまう。危機はその間近で処理するのがよい。


 余談その2:「反体制的」な記事の多い朝日新聞の記事で、御嶽からみの切羽詰まった登山届け義務化と、一般の登山届けの義務化の話がごちゃごちゃに報道されているのは、いかがなものかと思った。しかも登山関係で名のある記者の方の執筆であっただけに、実効性や課題について十分取り上げられていないことを寂しく思った。
 ぜひ、「オピニオン」でジレンマ性について深く議論を深めてほしいものだ。

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