25年度がスタートしました。この記事を執筆している今、満開の桜です。個人的には長い静大での暮らしも最後の1年となりました。同じ日を静大の教員として迎えることは二度とないのだと思いながら過ごす日々です。国から頂いている研究費があるので、令和9年までは静大で研究を続けることになりますが、その成果を第2のライフワークとしてどう社会に還元するかを考える毎日です。
さて、本法人も5月31日には、富士山麓で2年に一度の富士山麓ロゲイニング(12時間)が開催されます。現在、CP取材が終わり、ポイントを選んでいる真っ最中です。6時間も併設されています。町ロゲの多い日本では希有のナヴィゲーションポイントのある大会です。2年に一度のチャンスに是非おいでください!
5月には総会も開催されます。今年もオンラインで参加しやすくなっています。法人の概要を知ったり、他の会員さんを知るよい機会でもありますので、こちらも参加をお待ちしています。
では本年度もよろしくお願いします。
詳細は「現在・今後の活動のご紹介 」からご覧いただけます。
<主催事業>
<他団体による主催(M-nop協力・村越の講師参加等)>
これまで3回にわたりお伝えしてきたアジア選手権の報告、今回は最終回でリレー等について書きます。
リレー種目も、ミドルと同じ森、同じアリーナで開催されました。チェンマイの南西30kmほどのところにあるエリアです。改めて書きますが、この森は、「熱帯の森」というイメージからはかなり離れた乾いた森で、通行可能度も良好、地形的にも面白い「奇跡の森」なのです。
リレーは学校が会場でスタートもフィニッシュも一所に集まっているだけに運営的には、地図の管理を除くと気になるところの少ない種目です。最近は、その地図の配布方法も、事前に封をした地図を全員に渡してしまうという方法が採られることが多くなりましたが、さすがに国際大会、しかも、不慣れな選手も多いので、チェンジオーバー後の選手が自分で取るという昔ながらの方式が採用されました。
不慣れな地図配布方式のため、スタート前の一定時間に、地図配布所の近くに寄って自分の地図を確認する時間も設けました。
この作業も意外と時間がかかるため、スタート前のデモンストレーションぎりぎりで、香港のメディアの男性が見かねて手伝ってくれる始末。
競技の質は保つけれど、手伝えるところは手伝ってもらう。こういうアットホームなところはアジアの選手権ならではです。
この日も大きなトラブルなく競技は進行しました。全クラス1走の一斉スタートは壮観でした。
わが日本もM21、M16、W18、M18、W20、M20の各クラスで金メダルを取ることができました。
上写真は貫禄を見せた男子21Eチームのメンバーです(本庄・小牧・伊藤)。特にアンカーの伊藤選手は選手の中でも断トツの28’56の走りを見せてくれました。一方女子W21は1走で出遅れ3位という結果となりました(もう1チームは失格)。
上写真は香港の選手に競り負けて3位でフィニッシュした山崎選手とチームメイトの皆川選手(奥)、右二人は第2チームの山岸、樋口選手。
日本はレースが終わってからも活躍しました。最小限で運営する主催者チームにとって、撤収は大きな課題です。「撤収どうする?」「レース後募ったら絶対選手が『行きたい!』っていうから」。結果はその通りでした。北部はスイスのウル(運営者の一人)が日本の若者を連れて嬉々としてと出かけてしまいました。香港のパトリック(タイのコーチもやっていた)はまだ帰ってこないタイの選手がいるからと、南部の撤収を申し出てくれました。あとは日本選手が寄ってたかって撤収にいってくれたのです。
私が「行きたい!」と言った時には、「もう全部割り振っちゃいました」と言われてしまいました。
実は上右写真を見ると名前の入っていないエリアが南西部にあるのに気づくと思います。撤収の割り振りを担当していた坂野さんが割り振り忘れをしてしまったのです。「村越さん行きますか?」と声を掛けられたものの、きっと若者が行きたかろうと、募るとやはりすぐに手が上がり彼らに任せることにしました。こういうところこそ、盟主の風格だなあ・・・と感激したのでした。
最終日の夜はバンケット。3種目、各8カテゴリーの表彰式が延々と行われました。日の丸もたくさんあがり、君が代も何度も流れました。
少人数で無事に国際大会をやりきった運営チームにとってもおいしいお酒の飲める夜となりました。なんだか、高校最後の学園祭を息の合った級友とやりきった気分を味わったのでした。