大学教員最後の数年間は「辞める辞める」詐欺と言われたものです。大学に勤め始めた時の定年が63。そこまで勤めれば義理は果たしただろうと考えていましたが、最後の瞬間に2年任期の役職に選挙され、早期退職させてもらえませんでした。私事退職の場合、退職金が4割減になるので、さすがに辞められず。64の歳には、定員の不補充で所属する教室の補充が半年遅れたことから、さすがに辞められず。香港の友人からも「お前10年前から辞めるって言っていたじゃないか」と言われる始末。
退職して、新たな詐欺が発生しそうです。「暇々詐欺」。自分自身、もう少し余裕のある生活ができると思っていたものの、あっという間の3か月。退職後に暇を持て余すという話も聞きますので、幸福なこととも言えるでしょう。現在は、来年5月開催の世界マスターズ選手権に向けての準備、研究活動の継続、リスクマネジメントの事業化を3本柱に日々を過ごしています。
リスクマネジメントの事業化については、これまでにもMnopとしてOMMやMFのような日本を代表するイベントのリスクマネジメントのお手伝いをしてきました。これらも一つのターゲット領域ですが、これまでの仕事をベースに学校教育の安全向上につながるコンサルティング業務を検討しています。
学校の先生はよく「大切な子供の命を預かっている」「登校した時の姿で子供を親元にお返しするのが学校の役目」とおっしゃいます。この言葉に偽りはないはずですが、長年学校教育に携わったリスク研究者の目からすれば、それを可能にするための教員養成の仕組み、学校での研修、教員内での実践知の継承、いずれも十分とは言えません。その中で働き方改革もあって、学校行事等は私たちが子供のころよりも間違いなく減少しています。教員の、体験的活動のリスクに対する意識・経験ともに低減しているというのは偽らざる印象です。
ちょっとでもリスクのある行事は止めてしまえば、当座の安全にはつながるでしょう。しかし、学校行事は子供の思い出に残るものであるばかりでなく、リスクや辛いことと向き合う場でもあります。リスクのある経験を学校時代にできなければ、次世代がリスクに弱くなる懸念さえ秘めています。これまでのアウトドアでの経験と学校安全について熟知している立場として、挑戦と安全のバランスのとれる学校行事への具体的なサポートができればと考えています。皆様方の引き続きのご支援をお願いします。
詳細は「現在・今後の活動のご紹介 」からご覧いただけます。
好評を博したフォンテンブローロゲ、取り残したポイントを回りたい人のために、6月20日にリベンジイベントを開催しました。当日はぐずついた天気ながら8人の参加者とともに、私自身も改めてCPを巡りました。
改めて感じたのは、「武蔵野の俤は今も昔に劣らず」です。これは、明治期に自然主義的な文学と文体を確立した国木田独歩の短編集「武蔵野」の一節です。今の人口減少は、戦後期からの世界的にも稀有な人口増加と都市集中の裏返しに過ぎないと言われます。昭和30年代以降、東京近郊はのどかな田園風景から住宅地へと風景が一変します。都市近郊を取り囲むようにグリーンベルトを残すという都市計画は失敗したものの、現在でも、三多摩地区には僅かな武蔵野の俤が点在しています。古地図を使ってこれらのエリアを巡ることで、独歩が「武蔵野」で賛美した景観を私たちも追体験することができるのです。
湧水と雑木林が数多く残る東久留米の黒目川流域は、絶好の場所です。
前回も取り上げた以外にも、東京の水57選に選ばれた柳窪の湧水(下写真a)には、江戸時代に建てられたかやぶきの村野家住宅(下写真b)が往時の佇まいで現存しています。
小さな家なら一軒は建つだろう決して安くはない土地に、今でも庚申塔と石橋供養塔が残っています(下写真c)。あるいは古道と思しき住宅街の中の道を行くと、辻々で地蔵堂や庚申堂、あるいは不動明王に出会います(下写真d)。時には生花が手向けられていたりもします。大都市近郊のベッドタウンとしてしか意識できなかったこの地域には、江戸期あるいはそれ以前の文化や民俗が今も残っているのです。
これらを巡る「フォンテンブローロゲ」古地図は、Mnopで販売しています。東京以外の方も、上京のおりにはだまされたと思ってトライしてみてください。都会でこんなにナヴィゲーションの練習ができるのか、大都市近郊でこんなに豊かな自然が残っているのか、ダブルの驚愕に襲われることでしょう。
この日は60日に一度巡ってくる庚申の日。Club阿闍梨のSさんは、この日に合わせて古地図×庚申巡りをしています。この日はフォンテンブローリベンジに併せて、東久留米で開催してくれたので、5時間ロゲを回った後、二部練として回ってみました。
庚申塔は東日本に多く見られる石造物で、辻に道標を兼ねて造立されたり、寺社に造立されていたりします。もともと平安時代に始まる道教と結びついた貴族の風習に庚申の日に夜通し宴会をするというものがありました。庚申の夜は体の中にいる「さんし」の虫が体を抜け出し、天帝にその人の悪事を告げにいくと信じられていました。そのため、夜通し眠らずにそれを防ぐという風習です。これを18回(概ね3年)続けるという講は現在でも行われているそうです。そして18回終えた記念に建てられるのが庚申塔です。実際区公民館の脇に立つ庚申塔の写真をロゲイニングのために撮っていたら、「今でもやっているよ、コロナの時は2時間くらいだったけど(笑)」と聞かされたことがあります。
辻に立つ庚申塔には堂が架けられ、現在でもきれいに維持されているものが少なくありません。前回紹介した回国供養塔、あるいは石橋供養塔、そして庚申塔が残っているおかげで、私たちは地域の人々のささやかな歴史を感じることができます。それが古地図ナヴィゲーションを豊かな体験にしてくれていると思わざるを得ません(下写真4枚:田無市周辺の庚申堂4体)。